著者としては大変ありがたいことです。
さて、その飯田線本ではかなり欲張って画像を掲載しましたが、それでも掲載から漏れた画像はいっぱいあります。
そんな画像から最後で落としたものを中心に記事をまとめてみました。
クモハ43009 78.7.14 上片桐ー伊那大島 |
高校時代の夏休み入りと同時に行ってた飯田線。
上片桐のカーブを行くクモハ43他2扉車編成です。
クハ47009 78.7.14 上片桐ー伊那大島 |
上片桐から伊那大島の間は線路は右に左に蛇行します。
夏草が生い茂る中をガサゴソかき分けて何とか線路が見えたところで電車を待ちます。
やって来たのはクハ47009。
この電車は色々な場所で出会った縁深い電車になりました。
クモハ43015 83.3.20 天竜峡 |
天竜峡駅構内に佇むクモハ43形。
クモハ43形など2扉の低出力の車輌の大半は第一次置き換えで姿を消しましたが、唯一生き残ったのがこのクモハ43015でした。
これはどう考えても何らかの意思が働いたものと思わざるを得ません。
左からクハ165-118、クハ86317、クハ68403
81.7.25 七久保
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七久保で離合する上下列車と急行電車。
右に友人の頭、クハ86に電柱がかかっているのでボツにしました。
クハ47069 83.3.20 門島ー田本 |
飯田線の中間の区間は急峻な地形をゆく閑散区間です。
全面置き換えを間近となった1983年の春です。
クモハ54125 82.8.28 池場―東栄 |
南部地区をゆくクモハ54形。
クハ47009 82.11.14 七久保ー伊那本郷 |
黄昏時の七久保付近でやって来たのもクハ47009でした。
82.11.14 七久保ー伊那本郷 |
振り向いて走り去る電車を撮りました。
左に写っている車は親のブルーバードSSSです。
中央道はこの年の11月10日に勝沼ICから -甲府昭和ICが開通し全線開通したばかりでした。
免許取って間もない頃の思い出です。
ブログの最初のカット、全て狭窓2扉でいいですね!
返信削除私が初めて飯田線に訪れて最初に乗ったのが、偶然クモハ43015でした。
70系しか乗ったことがない私にとって、あのボックスシートの並びには衝撃をおぼえたものです。
いつかこれで7時間全線走破したかったのですが、結局叶いませんでした。
この本を読んでいると、若かりしあの頃を思い出します。
だから鉄道書ランキング1位にもなるはずですよね。
通りすがりの64さん
返信削除そうでしょう!
狭窓2扉ばっかりの編成は美しいですね!
車内のぎっしり並んだシートは魅力的でした。
じりじりと陽が差す上片桐付近で電車を待った若い頃の自分を思い出します。
モハ43といったら京阪神間のインターアーバン、その片鱗が感じられるのは横須賀線の時代までで、飯田線でトロトロ走るのは本来の姿ではありません。まぁ、ロングシートにならなかっただけよしとしましょう。
返信削除などと、敢えて憎まれ口を叩いてみました。
モハメイドペーパーさん
返信削除本線を疾駆する姿、見てみたかったものです。
あの線形では全然疾駆できないですものね。
「写真で綴る飯田線の旧型国電」のP100, 101のクハ68414、420の写真で確認できる「幌枠下部左右の突起状のもの」ですが、実は10年以上前の「我が心の飯田線掲示板」で話題になり、由来がほぼ特定されています。「我が心の飯田線掲示板」では「エラ」と表現されてたのですが、機能は、「幌が暴れて幌枠と干渉して破れるのを避けるためのプロテクター」の線が濃厚で、関西配置車のなかでも、阪和線の車に多く見られ、「吹田工場鳳職場」の工事の可能性が大です。実際、阪和線から転属してきたクモハ53007が転属当初はこの「エラ」を付けていたことが確認されています。また、昭和30年代前半に阪和線に所属していた車は阪和社型やクモハ61002など、ほぼ全車が「エラ」を付けていたことが確認できます。また、中間車にも「エラ」は付いており、サハ48036(後のクハ47151)や、鳳から松本へ転属したモハ70067に確認されています。これらの情報から、「エラ」は「吹田工場鳳職場」で鳳電車区所属の車に「昭和32年頃から」取り付けが始まったことが確認されたのですが、クハ68414と420、そして他に「エラ」が確認された68102,103の4両は阪和線との接点が無く、何故「エラ」が付いたのかが分からない、という状況になっていました。
返信削除また、「エラ」に類似のものは東武鉄道にも見られました。東武の方は起源が古く、昭和28年の5700系で確認できます。その後、同時期新製の7800系、昭和31年の1700系、昭和38年の8000系、昭和39年の6000系まで確認できます。こちらは機能が1985年9月の「とれいん」誌の東武1700系の記事に、「走行中幌が撓みすぎて幌が車体にあたるのを防ぐもの」との記述があります。ほか、相模鉄道の同時期の車にも「エラ」は見られます。東武の「エラ」は、車両の新製がナニワ、日車東支、汽車東京、宇都宮車両と多岐に渡っており、東武が出した仕様か、あるいは幌だけは特定業者が当たっていたということが考えられます。
昭和53年のクハ68412に見られた「厚い幌枠」に類似の、半流前面に厚い幌枠が付いた例は、宇部小野田線のクモハ40067の後位運転台に見られました。クモハ40067は、本山支線に残っていたクモハ12を置き換えるため、昭和49年に大船工場の事業用代用車から、青梅線のクモハ40023とともに転属したのですが、大船工場時代は幌枠が無かったのが、宇部電車区に来てからは平妻用の厚い幌枠を付けています。本線運用代用を考えてクハ55と連結される側だけに幌枠を付けたことが考えられます。
返信削除原口さん
返信削除幌枠下のステップ風のものは確かに阪和線電車に多く見かけましたね。
クモハ20形などでも装備されています~阪和線独自の改造のように見えますが、
どういう基準でつけられたのか解明できない部分も残っている感じです。
半流の40067号も似た印象ですが、68412は特別ごつい印象があります。
鉄道書ランキング1位おめでとうございます。
返信削除やはり旧型国電全盛期の飯田線は良いですね!
最近当時の飯田線の旧型国電がアルプスを見ながら、吊り掛けモーターを響かせて走る映像を見ていると涙が止まりません。
こんな雄大な景色の中を走る吊り掛け電車が今の日本からは亡くなってしまったと考えると本当に寂しい限りです。
宵闇さん
返信削除ありがとうございます!
おかげさまで、お値段が全然お手頃でないのにそれなりに買って頂いているようで一安心です。
アルプスに残雪が残る春の伊那谷の風景にスカ色電車は良く似合っていました。
無くなってから既に35年になろうとしています。