2017年1月24日火曜日

村松で見た蒲原鉄道の車両たち

蒲原鉄道の車両、その全てについて、村松という場所に拘って拾ってみました。


ED1 81.9.6 村松

蒲原鉄道唯一の電気機関車、ED1です。


ED1 81.9.6 村松

オリジナルの電機機関車はBLWの国産コピー機でした。
形式はEL形 というらしいです。
全線開通に際して日本車輌製造で新製されています。


モハ11 81.9.6 村松

蒲原鉄道オリジナル、自社発注のモハ11。
蒲原鉄道全線開通時に新製されたものです。
その新製時はモハ11~13までの3両の仲間が居ました。

モハ11 93.7.17 村松城址公園

モハ11はその後、村松町内の城址公園に保存されました。



モハ12 90.9.9 村松

自社発注の小型電車の中で唯一ワンマン改造を受けたモハ12。
信じられないほど細い乗務員扉は実用にはならないものの、法規上必要で無理やり改造したものらしいです。


モハ31 90.9.9 村松

名古屋鉄道から戦後に供出をされて譲り受けた木造車のモハ21は見ることができませんでした。
そして、次はモハ31。
開業時の デ1形1の改造名義で1952年に新製された電車です。

モハ41 81.9.6 村松

モハ41。
モハ31の後を追ってモハ13(⇒モハ51)の改造名義で1954年に新製された電車です。
新造時はモハ31と同一車体だったものの、後に車体延長改造を受けて3扉化されています。


モハ51 84.3.22 村松

モハ11とそっくりのモハ51。
それもその筈、モハ51は元モハ13で、モハ41の新製に際しては同車の主要機器を供出し、モハ13にはモハ1の主要機器を転用する玉突きを行ったために改番されたものです。
そのため、書類上はモハ1の車籍を継承し、モハ1の改造名義で竣功しているとのことです[ウイキペディアより]。
モハ31がモハ1改造名義なものの、書類上と実態には乖離があるようですね。
部分廃止時には廃車処分されています。

モハ51 84.3.22 村松

晩年のモハ51はワンマン車でもなく、小型なので余り出番がなかったようです。


モハ61 84.3.22 村松

モハ61。
西武鉄道より1958年に譲り受けた車両で、類似車両に一畑に行ったクハ100形があります。
一畑クハ100形(こちら⇒一畑電車の手動扉の電車をもとめて)。
この電車は暖房の効きが良く、冬場は重宝されたようです。
現在は冬鳥越に保存されています。


モハ71 81.9.6 村松

こちらも1965年に西武からやって来たモハ71。
パンたの無い側には貫通幌を備え、クハ10とコンビで走ることが多かったようです。





モハ81 85.3.2 村松

矢鱈と腰が低く感じるモハ81。
モハ81は近所の 越後交通より譲り受けた元モハ3000形の3002です。
最後までワンマン化はされずに部分廃止時に廃車されています。

モハ81 81.9.6 村松

日本鉄道自動車製の車体はどれをとっても独特のスタイルで、田舎臭さは拭いきれません。

モハ91 81.9.6 村松

電動車の殿は山形からやって来たモハ91。
車体は新しかったものの、扉配置が災いしてワンマン化はされず、部分廃止時に早めに淘汰されてしまいました。


クハ10 81.9.6 村松

気動車改造のお馴染みクハ10。
国鉄より払い下げを受けた元キハ41000形です。
お隣の新潟交通にも一両存在したのも興味深いです。


モハ1 81.9.6 村松

こちらは村松の車庫に詰所として残っていたモハ1です。
モハ1は1923年、蒲原鉄道開業時に蒲田製作所で新造されたデ2です。
モハ1は戦後の1952年にモハ31新製にあたって機器流用名目で廃車となり、その車体がこのような形で詰所として永年利用されていました。

モハ1 03.11.2 冬鳥越

その後は予想外の展開が待ち受けていました。
全線廃止後のこの車体を活用して復元されることとなり、車内外とも徹底した修繕工事が施工されて別途用意された台車・パンタグラフ等を新たに装着した上で冬鳥越スキーガーデンに静態保存
されることとなりました。

モハ1 03.11.2 冬鳥越

湿気の多い雪国で尚且つ木造車体が甦るのは奇跡的と思わざるを得ません。
詰所時代に屋根を被せていたのが幸いしたようですね。


ワム1 90.9.9 村松

枯れ切った貨車も二形式いました。
こちらは有蓋車のワム1。

トム1 90.9.9 村松

こちらは無蓋車のトム1。

8 件のコメント:

  1. Chitetsuさん訪問の1年前に訪ねました。ED1は同じ貨車と連結して同じ場所に停まってました。

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  2. Cedarさん
    機関車貨車セットは他の時の訪問でも同じ位置でした。
    殆ど動いていないか定位置だったのでしょうね。

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  3. 晩年は営業キロもずいぶん短くなってしまた蒲原鉄道、かつては結構車両もあったのですね。
    モハ12の乗務員室ドアはそんな経緯で設けられたのですか? 西武の151形もかなり狭かったですね。
    台帳上の旧番号など、当時は車両設計・製造認可が結構大変だったようで、名義が使われたのでしょうね。
    かつては蒲原鉄道の他に越後交通、新潟交通とあったローカル私鉄も次々と廃止になってしまって
    やはり寂しいものです。
    モハ1は驚くほど綺麗に復元されているのも嬉しいものです。

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  4. モハ12の乗務員扉、私でなくとも通れなさそうで不思議に思っていましたが、長年の疑問が解消しました(笑)
    廃止直前、枯れ切った貨車がお化粧直しされてED1と編成状態で展示されたのは感激でした。

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  5. モハ1005-モハ1006-クハ2003 さん
    あのスペースに良く扉を付けたものです。
    お役所もこんな無意味な改造を強要させるあたり硬いですよね。
    モハ1の復元はビックリしましたが、無人の山中での保存が今後不安材料ですね。

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  6. みかんさん
    かなりスリムな人限定の扉ですね。
    私もお腹がひっかかりそうです・・・。

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  7. まさに今日、初の新潟旅行で冬鳥越を訪れました。
    保存状態もよく、素晴らしかったです。
    月潟も訪問しましたが、あちらが桜花薫風だったのに対し、冬鳥越はまだ雪も少し残っていて、厳しいなかを縫うように走っていた当時が偲ばれます。
    末長く保存されることを祈っています。

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  8. タヌ娘さん
    冬鳥越、行かれたのですね。
    保存状態が良い形で維持されているのは嬉しいことです。
    やはりスキー場があるぐらいなので、寒いのですね。
    コメント、ありがとうございました。

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