2017年1月28日土曜日

南満州鉄道の遺構

大連では、ツアーメニューに南満州鉄道の遺構の訪問も盛り込まれていました。
今回は満鉄時代の遺構見聞録です。


満鉄路線図

こちらは満鉄資料館に掲示されていた戦前の満鉄路線図です。
一番下が大陸への物資輸送の拠点だった旅順、大連はそこから1時間半ぐらい行ったところにあります。

17.1.21 大連

大連駅です。
1937年の建築、上野駅と共通するデザインです。

17.1.21 旅順

ロシア時代に建築された旅順駅です。
写真右手には旅順軍港の埠頭へ引込み線が延びています。
当駅近辺は、旅順軍港に隣接することから近隣に多数の軍関連施設が所在するため近年まで外国人立入制限区域でした。
今は緩和されたみたいですね。

17.1.21 大連

こちらは早朝の旧満鉄本社です。

17.1.21 大連

その満鉄本社前を行く路面電車。

17.1.21 大連

こちらは中を見学できました。

17.1.21 大連

見学できるのは陳列室と旧満鉄総裁室です。

総裁室

こちらがその総裁室です。



アジア号模型

陳列室は屋根しか撮影できなかったのですが、貴重な写真がいっぱいありました。





総裁室入り口に掲げられていた機関車の絵です。

戦前の大連地図

ミュージアムショップで売っていた戦前の大連地図です。
中心部をアップで撮って見ました。
これを見ると戦前は路面電車網がかなり発達しており、戦後に整理されたようです。

おみやげ

こちらもお土産で買った大連の戦前の写真集です。
右下は今回訪問した満鉄本社です。
路面電車が上下の写真に写っていますが、バーニーカーもあったのですね。
調べたら、ボギー車でスタートしてから単車を増備した経緯があるようです。

4 件のコメント:

  1. 満鉄はかなり古いRP誌(昭和30年代末)でも特集があり、その後のRP誌でも点々と記事が掲載されており、先日の大連の路面電車も関連してレポートが掲載されたのを読んだことが有ります。
    「満鉄の遺構」ですが、「マンホールのふた」がとりあげられたことがあります。マンホールのふたは日本国内でも話題になることが有り、自治体や会社の「紋章・社章」が研究対象になっています。満鉄もこの「社章」がマンホールのふたに鋳造されており、満鉄由来の建物が名前が変わっているのに対して、いわば満鉄の「直接の痕跡」が残ったものになります。
    また、日本国内の「満鉄」として満鉄が所有者だった鶴見の「臨港線」が取り上げられたことになります。確か鶴見線の扇町の辺りが該当しており、戦後の会社整理の過程で所有者が変わりました。

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  2. 原口さん
    マンホールの蓋は今も旧本社附近に残っているという記載があったのですが、雪もあって発見できませんでしたが、陳列館で見ることができました。

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  3. 亡き父は満洲には思い入れが強く、満鉄関係の本も集めてましたので、こんなツアーが元気な頃にあったら連れて行きたかったです。
    バーニィカーはオリジナルの設計図から満鉄工場でコピー製造したものだそうで、アメリカンな満鉄らしいですね。

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  4. Cedarさん
    その世代の方には思い入れのある方が多いのでしょうね。
    私の親も満鉄の話をしていました。
    バーニィーカー、最初にアメリアっから買って後は内作したみたいですね。

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