既にその噂があった2002年の年末、草津への旅行のついでに立ち寄りました。
02.12.31 川原湯温泉 |
移転前の旧駅舎です。
当時でさえ、東日本管内では少なくなっていた木造駅舎です。
当時でさえ、東日本管内では少なくなっていた木造駅舎です。
02.12.31 川原湯温泉 |
温泉の下車駅にしては近代化されていないのも移転計画があったためでしょう。
02.12.31 川原湯温泉 |
上りホームの待合室も模型化に最適そうな懐かしい建物が残っていました。
02.12.31 川原湯温泉 |
上り電車がやって来ました。
02.12.31 川原湯温泉 |
振り向いて一枚。
駅前は雪がありませんが、こちらは結構残っていました。
02.12.31 岩島ー矢倉 |
新前橋の115系電車も3連はまだ生き残っているものの、4連はほぼ運用離脱だそうです。
みかん色の電車も最後の冬を迎えようとしています。
ドリフターズの映画より、吾妻線は電化直後首都圏から40系かき集めて投入したためか、茶色のまま用いられたようですね。
返信削除物語上、鉄道会社のライバルとなるのが西武バスで所長はいかりや長介が就任していますw
http://tetueizuki.blog.fc2.com/blog-entry-115.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kokoronougokutoki/53822273.html
自分は非鉄時代の11年前に川原湯温泉行きました。
返信削除http://yosi.uzusionet.com/tabi/111/tabi_111.htm
せっかく線路に沿って渓谷沿いを歩いたのに電車の写真は無し。
もったいないことしました。
温泉街は移転待ちで何とも寂しい雰囲気でした。
12号線さん
返信削除こんな映画があったのですね。
電化直後の吾妻線のシーン、見てみたくなりました。
西武バスも痺れますね。
てつよしさん
返信削除埋もれてしまう温泉街というのも滅多に会えない光景ですね。
拝見すると、やはりちょっと寂しい気持ちになりますね。
12号線さん紹介のドリフターズの映画は「我が心の飯田線掲示板」の方でも長野原線電化当時の状況を伝えるものとして話題に上ったことがあります。
返信削除高碕の115系は最近発売されたJR電車編成の最新版でも、今まで見慣れてきた編成一覧と比べて明らかに数が減っていることがわかります。
先に高崎車両センター一般公開の報告をしましたが、この時に「サハ組込み」の4両編成(T1159編成)を目撃しています。この写真も紹介していますので気が向いたら見てみてください。115系とともに吾妻線運用に入るリニュアールされた211系4両編成も目撃しており、吾妻線も211系が勢力を広げつつあります。
今年の夏に115系に乗るために大前まで行きました。
返信削除川原湯温泉駅は両側を長いトンネルに挟まれていました。
また、定期特急の行先が万座・鹿沢口駅から変更された長野原草津口駅では、接続や運転間隔調整のため20分くらい停車し、国鉄時代の長距離鈍行を思い出しました。
その長野原草津口駅は島式ホームの片側の線路を行き止まりにして駅舎へ通じる通路を作り、跨線橋を廃止してバリアフリー化していました。
ドリフの映画は以前放送されたものを録画しましたが、電車のシーンだけを見てそれきりになっています。
吾妻線の電車の色は年と共に変わっていきますが、西武バスは未だに当時と同じ色です。
すみません、上記投稿で名前を忘れました。
返信削除原口さん
返信削除サハ組み込みの4連はほぼ全滅らしいですね。
211系の3輌編成というのはまだ見ていませんが、今後登場すれば、3連も一気に置き換えなのでしょうか。
三等急電さん
返信削除定期特急の行先変更など、吾妻線を取り巻く状況もどうも寂しい印象ですね。
私が最初に訪問した時の万座鹿沢口駅では超満員だったのですが。
初めてコメントします。
返信削除上州人ですんで(笑)
115系は高シマのスカ型を追放したので当時は恨み骨髄でしたが、ついに引退ですか。
年を取りました(苦笑)
あと、地味な存在ですが107系も命旦夕に迫っているようです。
川原湯駅には何度か下車し、王湯に入りました。
王湯は新駅近くに移転しましたが、ちょっと食指が動きません。
buhikun さん
返信削除いらっしゃいませ。
新車の時は恨めしかった電車でさえ引退です。
年取ったわけですかね。
私は結局川原湯温泉は入らずじまいで終わりました。