2016年7月5日火曜日

東武鉄道の荷物電車

東武日光線の板荷~明神~下小代の区間は人里から少し離れて、電車を撮るにはうってつけの風景が続きます。

過去何回かこの辺りで不定期の5700系臨時列車を待ちました。
その折にやって来たのが荷物電車。

82.5.1 下小代ー明神

水が張られた田圃に影を落としながら荷物電車がやって来ました。
この荷物電車、毎日一回はここを往復していました。
かなりなご老体には結構なお仕事であったのではないでしょうか。

82.5.1 下小代ー明神


雄大な風景の中を単行で走る荷物電車はちょっとこの風景に負けてしまいそうでした。

10 件のコメント:

  1. 関東武士と称された32系(広域)の最後の生き残りでしたね。
    落ち武者かもしれませんが、写真では孤高の存在といった風格がうかがえます。
    東上線にはブリル台車履いたHL制御のモユニがおり、成増駅の専用ホームに佇んでいたのも40年以上昔でしょうか。

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  2. 画像を見るとモニ1471か1472のどちらかですね。
    1983年まで1日1往復づつ館林→業平橋(今のとうきょうスカイツリー)→東武日光→新栃木(待泊)→業平橋→伊勢崎→館林と運用されていました。

    鉄道ピクトリアルアーカイブスの「東武鉄道」で調べたところ、モハ1400を1960年代に改造したそうで、実働50年以上の古参車両でした。

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  3. 12号線さん
    昭和の東武電車の唯一の生き残りが荷物電車でしたね。
    最後は交換されてしまいましたが、特徴的な大きなパンタも健在でした。
    東上線のオレンジ一色の荷物電車、微かに記憶があります。

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  4. taiitis さん
    そうですね。3輌居た荷物電車はスタイルが二種ありましたから、1473では無さそうです。
    この2輌は製造時は正面五枚窓の古参電車グループの一員ですね。
    よくこんな広域運用をこなしていたものです。
    似たようなお歳の国鉄の配給電車は、小山や高崎に行く遠距離運用では万一のために2Mで走らせていたみたいです。

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  5. 東武の荷電は北千住で出会い頭にワンカットだけ撮っただけで終わってしまいました。こういう景色の中の単行電車も素晴らしいですが、Cedarなら鐘ヶ淵・堀切あたりで狙いたかったです。

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  6. 昨年9月10日の台風17号、18号による水害では鬼怒川の決壊により関東鉄道常総線が長期運休した他、東武宇都宮線が鉄橋の流失で長期運休しましたが、日光線もかなりの被害を受けています。ちょうど写真の区間の下小代駅で土砂の流入があったほか、写真の区間の少し南の新鹿沼―北鹿沼間で盛土の法面が崩れています。9月18日に一応復旧し、東武日光線は全線で運転を再開したのですが、この直後の9月23日に日光へ行くためにこの区間を通過したのですが、速度制限をしており、運休の原因となった法面の崩壊はブルーシートがかぶせられており、他の盛り土や切り通しの随所に崩壊が見られ、土嚢が積み上げられていました。

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  7. 東武に限らず、旅客用では見られなくなった旧型車の動く姿を見れたのが荷物・郵便車でした。
    しかし80年代に入ると急速に姿を消してしまいました。
    東武では、本線がモニで東上線がモユニだったようです。
    12号線さんと同じく成増駅の専用ホームで赤いモユニを見ました。
    旅客用が8000系と7800・7300系のみだった東上線では、貴重な存在でした。
    なお、ブリル台車でHL制御だったのはモユニ1190のみですね。

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  8. Cedarさん
    荷物電車には大学生時代凝ってあちこちに出掛けました。
    それだけ古い電車が減っていたということですね。
    東武の荷電もごちゃごちゃした雰囲気の街中でも撮ってみました。
    雄大な風景の場所よりお似合いかもしれませんね。

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  9. 原口さん
    昨年の豪雨は大変でした。
    あそこまで被害が出たのはこれまでなかったのではないでしょうか?

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  10. 三等急電さん
    私鉄の荷物電車も80年あたりを境に急速になくなりました。
    今や荷物電車が走っていたことさえ信じられないですね。

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