2015年11月15日日曜日

バスでやって来た信濃川田にて

バスで行く電車の旅、続きです。
松代を後にバスで信濃川田に向かいました。

15.11.12 信濃川田

信濃川田には駅舎と一緒に何故か小布施に保存していた貴重な電車を含めて電車や電気機関車が9輌保管されていて、そのうちの最古参二輌が最近身売りされたことまでは知っていました。
ただ、ネットで見る限り信濃川田の保存車はビニールシートに覆われているらしく、バスを一本逃すと一時間半待ちになってしまうので、ビニールシート電車を一時間半も見ていてもしょうがないので、この駅はパスして須坂へ直行しようかとも考えました。
しかし、思ったより早く松代駅見学が終わり一本早めのバスに乗れたので、やはり川田駅で下車することにしました。


15.11.12 信濃川田

信濃川田駅に着きました。
駅舎はこちらも駅名票が外された以外は現役時代のままで、ここから見ると今も電車が走っているかのようです。
実際、駅のトイレにやってくる人は「まだ電車走っているんだ・・・」、みたいな話している人もいたりします。


15.11.12 信濃川田

そして気になるビニールシートに覆われたはずの保存車は?!
なんと、ビニールシートを剥がされていてその全貌を拝めるではありませんか!
これは、ラッキー!
でも、このように寂しい雰囲気ではあります。

モハ1003 15.11.12 信濃川田

シートを被されていた割には褪色も進み、結構傷んでいます。
モハ1003 15.11.12 信濃川田

間隔を置いて並べられている電車三種。
撮り易くて有難いは有難いですが、この先が心配です。

モハ2001 15.11.12 信濃川田

ホームに停車した形になっている2000系A編成。
モハ1000形以上に状態が悪く、ちょっと悲惨な状況でした。
車体のあちこちに青いシートの残骸が残っていましたが、いつ剥がされたのでしょうか?
2輌の電車が安曇野に搬出されたタイミングだったのでしょうか?
どちらにしても、相変わらず日本の車輌保存にたいする意識の低さにがっくりさせられます。

モハ2002 15.11.12 信濃川田

反対側のホーム跡から屋代方面を見ました。
モハ2002の屋根肩の塗装剥離が顕著です。




モハ2002 15.11.12 信濃川田

こちら側も、やはりかなり傷んでいます。
この様子はビニールシートをかぶせていたとは思えないほどです。
保存の難しさを痛感します。

モハ2002 15.11.12 信濃川田


モハ2008 12.1.21 信濃川田

臨時で入線した2000系はホームをはみ出して停車中です。
今回もその時と同じ場所で撮ってみました。




駅舎内には電車の時刻表がそのまま残っていました。





こちらはバスの時刻表。

ううむ・・・

「この建物はとても古いので・・・・・」

15.11.12 信濃川田

一時間半後の次のバスで信濃川田を離れました。
このバスも乗客は私以外にはおばあさんが一人しか乗っていませんでした。

10 件のコメント:

  1. おはようございます。
    心配ですね、この状態。この駅より松代駅の方に車輛を置いた方がよかったような気がします。廃止後に歴史好きの友人とともに、海津(松代)城と城下町散策、佐久間象山旧跡、真田信幸(信之)墓参り、等した時に、真田歴史博物館のあたりで、長野市職員がアンケートしておりまして、「車輛を駅に集めて、ミニ博物館でも造ったらどうですか」と提案しましたが、どうも、松代駅自体が城の中にある関係から、駅本屋を残して全部壊して平地にするとかいっていましたね。駅本屋は残して観光案内所にでもすればいいのにと思いますがね。結構、歴史好き(コスプレ関係?)には人気の城ですし。さて、信濃川田に置かれた車両の一部が某所というか「安曇野ちひろ公園トットちゃん広場」で電車教室として保存されるようです。おそらく、ファンとしては、妙な形になるのでしょうが、残りの車輛たちの様子を見れば、全部引き取ってもらったほうがいい気がしますね、この状態では。
    http://www.chihiro.jp/totto/で検索してぐださい。
    来年夏オープンだそうです。

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  2. 昨日の続きになりますが、信濃川田駅も松代駅と同様、昭和の頃から全く変わっていない、半ば朽ち果てたような駅の姿、泣かせますねぇ…。縦書きの時刻表、昔は国鉄の大きな駅でも普通に見かけていたのですが、今では地方私鉄でもほとんど残っていないのでしょうか。時刻表の下にある綿屋さんの広告、この線にあった「綿内」の地名の由来も、これと関係深いのでしょうか。電話番号が1桁で、有線電話の番号も書かれているのも、時代を感じさせます。全国の電話が全て自動通話になったのは昭和50年代の前半だったはずなので、それ以前の、おそらくまだ長野市にも合併されていなかった頃、ダイヤルを回すと交換手が出てくる手動電話の時代の名残がそんなところにも残っていたのですね…。
    最近までシートをかけられていたとはにわかに信じ難い車両の荒廃、松代の町でのアンケートと市の態度を見ると、どうも長電にも長野市当局にも、鉄道車両・駅という「産業遺産」に対する意識が欠けているように思えます。どちらにも「その気」がないのであれば、民間のボランティアに引き取ってもらい、駅の移築を含めて運営を任せたほうがよほどよいと思います。
    「OSカー」(初代はとっくに解体されたらしい)がないのは、やはり地方私鉄には浮き上がった存在だったからでしょうか。

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  3. 軽便行者さん
    自分も松代駅のほうが良いような気がしましたが、色々な事情があるのでしょうね。
    長電も車輌保存とかやっている懐事情ではないのでしょうが、このままでは荒廃して結局処分されてしまうのでは?と心配ですね。

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  4. 伊豆之国さん
    縦書きの時刻表も虚しい感じです。
    無人の敷地にこのように保管しても早晩悪戯も含めて荒廃してしまうのではないでしょうか。
    産業遺産に対する認識はやはり日本ではまだまだ後進国です。

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  5. 2000系A編成!
    私と同い年なんです。
    泣けてきました。

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  6. シグ鉄さん
    あら、そうですか!
    昭和32年、ですよね!
    颯爽とデビューしてから半世紀以上特急電車で頑張ったというのは本当に長寿でしたね。
    それだけに、今の姿は寂しいですね。

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  7. 読んでいて情けなさを感じました。小布施にある保存車両は屋根をかけてそれなりに保存はしてはいますが、こちらのほうは中途半端で終わっているような気がしました。
    会社としても精一杯でしょうが、なんだかの対策でも打ってもらいたいものです。

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  8. taiitisさん
    おっしゃる通り、現地について自分も同じ感情を持ちました。
    それも、折角小布施で屋根のかかった場所に保管していた電車を無人の雨さらしの場所に移動させてしまってもいるわけなので、何故こうなっちゃうのかなと疑問を感じました。

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  9. 長電は地方私鉄の中では産業資産保存に熱心だったはずなのに、渋谷の青がえるの犯人のいる会社と同じく、幹部人事異動があったかな?

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  10. Cedarさん
    でんしゃの広場を作ったり、上田交通から買い戻したりと産業資産保存に取り組んでいましたよね。
    どうしちゃったんでしょうかね。自分もそんな気がします。

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