2015年9月19日土曜日

東急目蒲線 目黒駅

ターミナルを次々と地下化して乗り換えの手間を増やすことに懸命なT急。

目蒲線の目黒駅が地下に潜ったのは1997年。
地下化からすでに20年に近づいています。
時間の経つのは早いものです。

デハ3452 81.7.8 目黒 

18年も経つと地上時代の目蒲線の目黒駅を利用した記憶がある人も徐々に減ってきているのでしょうね。
そんなことで、本日は地上時代の目黒駅風景です。


デハ3474 80.6.5 目黒

目黒駅に停車中のデハ3474。
貫通幌の無い間抜けた姿のデハ3474にはデハ3452共々、目蒲線沿線では良く出会いました。


デハ3474 80.6.5 目黒

目黒駅にあったシーサスクロッシング。
目黒付近の地形は結構起伏が激しいので、線形も結構興味ふかいです。
ここから急勾配で下って行きます。
この付近は地下化後に路盤が削られてかなりな変貌を遂げています。
こちらは路盤が削られた様子が垣間見れる場所です。


デハ3452(左)、デハ3474(右)
79.7.3 目黒

目黒駅は頭端部式ホームでしたので、こんな並び写真が撮れました。
左ホームに到着すればすぐに国鉄山手線にアクセスできるのですが、右のホームに入ったらぐるっと回らなければいけませんでした。
デハ3452と3474、ここでも登場ですね。


デハ7203 93.3.11 目黒

こちらは工事が始まってからの目黒駅。


デハ3711 80.1.22 目黒ー不動前

山手線内側の道路から見た目蒲線です。
名鉄に売っ払われる直前の3700形です。

デハ3452 80.1.22 目黒ー不動前

こちらは目蒲線ではお馴染みのデハ3452です。
最後は池上線でリバイバルカラーを纏いました。

クモル24011 80.1.22 目黒ー五反田

山手線の内側から見た目蒲線です。
配給電車のクモル24011が走るのは山手線。
その奥に一段下がって山手貨物線。
更にその奥に一段上がって走っていたのが目蒲線です。

EF15 45 80.1.22 目黒ー五反田

上の写真のもう少し目黒駅側へ寄ると目蒲線の目黒駅の全景が見えました。
正に崖にへばりつくような感じでの立地でした。


14.9.28 目黒

ここはどこ?
サンフランシスコ?
否、目蒲線の線路跡です。
上の写真のデハ3711や3452が走っていた辺りです。
変わっちゃうものですね。

14.9.28 目黒付近

もうちょっと下った、現在の目蒲線地上線の線路跡はこんな感じになっています。


14.9.28 目黒

軽便祭でお世話になったこの施設もこの付近に立地していました。
こちらの建物も過去帳入りです。

そろそろ今年も軽便祭が近づいてきました。

14 件のコメント:

  1. 3452やっぱりかっこええなー!
    おれもすでに地上時代のことを忘れつつあります。。。

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  2. いつも懐かしい写真を有難うございます。

    お写真より少し前まで、目蒲線目黒駅は2面3線でした。
    西武新宿の反対向きみたいな構造です。
    1,2番線のシーサスクロスがあって、3番線が合流して、さらに3番線用の渡りポイント。
    シーサスを不動前寄りに持って行けば節約できるのに、などと思いました。

    1番線にあった立ち食いホットドッグが美味かったなあ。

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  3. 五島慶犬殿
    3452は良い顔していますね〜!
    目蒲線も死語になりつつあるのでしょうか?

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  4. シグ鉄さん
    目黒が2面3線だったとは知りませんでした。
    あのスペースに良く収まっていたもんですね。
    ポイントの位置もちょっと不思議だったのですね。

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  5. Cedarも3線時代の記憶あります。勾配と縦曲線の関係でシーサスが入れられなかったと、誰かに聞いたような〜
    一時期の新玉川線、二子玉川と同じですね。

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  6. 杉野ドレメ女学院も懐かしいですね。
    今はなんと男女共学らしいです。

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  7. すみません。上のは私です。
    今思えばじっくり記録すべき駅でしたが、
    私の記録はネガ一枚だけ。残念。

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  8. 地上時代の目蒲線目黒駅から電車に乗ったことは何度かあり、大鳥神社の「酉の市」の帰りに乗った記憶もあります。
    頭とお尻の真っ二つに切られて、「目黒線」と「多摩川線」ではあまりにも芸がないですねぇ…。目黒と多摩川だから「目多摩線」→「目玉線」、鬼太郎の目玉妖怪電車を走らせたら面白そう。蒲田と多摩川で「蒲多摩線」→「釜玉線」、これじゃ讃岐うどん、琴電か?
    「さつき会館」、花屋さんではなくてまったく正反対、あの鬼より怖い、泣く子も黙る「闘う機関士の大集合」だったのですね…。

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  9. 東急目蒲線は、初めての電車通学だった中1の1学期に、3ヶ月間大岡山-目黒間に乗っていました。
    もう記憶も遠い彼方ですが、電車の色は黄色と青、目黒駅にも木造のテデワ3041が来ていたのは覚えています。その前年だったと思いますが、国鉄側との跨線橋の下を通過する蒸気機関車の煙を見ています。
    まさかあの中に入ることは無いと思っていた旧動労会館で軽便鉄道模型祭りが行われ、更にそれもなくなってしまうとは。軽便鉄道模型祭りが日本橋に移ると、目黒に寄ることがほとんど無くなってしまうかなぁ。

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  10. Cedarさん
    確かにシーサスのすぐ先から勾配になっていますね。
    配線、きつかったのでしょうね。

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  11. pointscaleさん
    杉野ドレメ学院、いかにもな建物でした。
    調べたら2002年に共学になっているのですね。

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  12. 低Nさん
    自分もここに出した画像が全てです。
    もうちょっと記録しておけば良かったです。

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  13. 伊豆之国さん
    目黒線、なんとも芸の無い名前ですね。
    まあ、アーバンなんとかラインよりはマシと言えばそうなのですが・・・。

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  14. Pleidaisさん
    それはまた昔の話ですね。
    木造の電車に汽車とは!
    旧動労会館も無くなって、これからは足が遠のきそうです。

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