特に、マイカー持ってからは関越で一時間かからずに目的地に行けますので100系電車を見に結構出かけました。
81.8.4 上長瀞ー親鼻 |
超定番の長瀞の川べりから。
2両編成が2本くっついた4両編成の姿をこういう角度から見るの、好きです。
クハニ24 81.8.4 波久礼ー樋口 |
荒川の対岸から撮ってみたくて、あちこち歩いて発見した隙間から100系電車が来るのを待ちました。
クハニ24 80.4.27 白久ー三峰口 |
こちらはお気に入りの白久付近の築堤。
大学のクラブ新歓旅行でのひとコマ。
一緒に行ったメンバーも当然ながら結構な歳になっちゃいました。
デハ107 80.4.27 白久ー三峰口 |
田舎臭い電車ですが、不思議な魅力がありました。
デハ109 88.3.20 浦山口ー影森 |
小田急1800系が入っても、100系電車を全て淘汰できなかったので、結構後年まで生き残っていました。
クハニ22 88.3.20 浦山口ー影森 |
ベンチレーターが結構小さくて、屋根が実にシンプルです。
デハ109 88.3.20 波久礼ー樋口 |
C58の運行が始まったのはこの月の15日から。
この時は蒸気列車も合わせて撮りに行きましたが、周りのカメラ構えた人はこの電車はボロにしか見えないのか当然スルー。
電車好きの私はこちらの方が本命でした。
デハ109 88.4.17 寄居ー小前田 |
寄居の手前の道路橋からは八高線と並走する区間があり、それなりにスッキリ撮れました。
86.5.14 樋口ー波久礼 |
荒川の河原に下りてパチリ。
今はどうなっているのでしょうか?
84.11.23 浦山口ー武州中川 |
84.11.23 武州日野 |
晩秋の秩父路を行く100系電車。
100系電車はJRからの101系増備で、残った仲間も1988年をもって全車引退。
地方私鉄としては結構大所帯であったオリジナル電車群は過去のものとなりました。
100系電車を追いやった1000系電車も既に全車引退、こんな渋い電車の活躍した時代もずいぶん昔の話になりつつあります。
昭和40年代の中頃かな、Mc-Tcの2連荷統一される前には、Mc-T-Tcという1M2Tの3連もありました。たまたまこれの三峰口行きに乗ったけど、西武の2M4Tより軽快に走っていました。
返信削除SLも旧型電車も我々から見ると同じ旧型にしか見えないのに、SLばかりが評価されるというのがとても悲しい現実ですね。
返信削除SLも大事ですがこういう渋い電車にも注目するべきだとワタクシは思ってしまいます。
100形の記事、懐かしく拝見してます。
返信削除当時、小学生の私は鉄道写真をやりはじめた頃で
110mmのフィルムのカメラ片手に、近場の旧型車を撮り歩いていました。
100形は既に引退間近で運用も少なく、どの運用に就くかなど知らない小学生は
駅でひたすら来るのを待っていました。
乗ったのは一度だけでしたが、旧型車とは思えないスピードを
出していて、揺れが激しかった記憶があります。
三峰から熊谷まで乗ろうとしましたが、途中で気持ち悪くなって
確か長瀞あたりで、リタイヤしたはずです。(笑)
最後のさよなら運転は確か国鉄末期の頃で、山手電車区のイベントと被って
どっちに行くか迷って
自分は結局山手に行きました。
あとで豆電球で装飾された100形の写真を見て
秩父へ行けばよかったと後悔したのを覚えています。
まぁ、今思えば山手でクモニ13見れたし、どっこいどっこいですね。
長文失礼しました。
モハメイドペーパーさん
返信削除1M2T編成、ありましたね。
私は走りっぷり知らないのですが、結構パワフルだったのですね。
宵闇さん
返信削除私も、そう思います!
周り多くの人がが古い電車なんか見向きしないのは大井川も一緒でしたね。
豆夫さん
返信削除秩父は走行距離が長く、その上結構で結構休んでしまうことが多いので、運用を予測するのは結構難しいですね。
1000系の時も結構待ったのを思い出します。
100系電車、私の乗車経験でも結構なスピードで飛ばしていたのが印象的でした。
山手のクモニ13も貴重なので、それはそれで良かったのでは・・。
コメントありがとうございました。
ちょっと話が逸れてすみません。
返信削除大井川の千頭の留置車両もモハ1105を含めて新金谷の引き込み線に押し込められたようです。
その全てが吊り掛け電車。このまま全部解体されてしまうとなると悲しすぎますね。
宵闇さん
返信削除そうなんですか・・・。
大井川も末期的な状況になっていますね。
今は汽車以外には余計な経費は掛けられる状況ではとてもなさそうですね。
貴重なステンレス電車もお釈迦でしょうか?
100形は私の世代でもかろうじて間に合った電車。
返信削除中学2年のとき、計画を立てて東武熊谷線をからめてひとりで乗りに行った
思い出があります。ニス塗りの車内がきれいに維持されていたのが印象的でした。
思えば、運輸省規格形電車の流れを汲むスタイルの最後の現役車両であったはずで、
もっと記録し、乗っておけばよかったと悔やみます。
当時は憧れていたが小田急までは乗りに行けなかった800形に乗るほうが楽しかったのです。
低Nさん
返信削除秩父の電車は車内のニス塗りが最後まで維持されていましたね。
結構手を入れて使っていたようで、500系電車の引退と同じぐらいまで頑張ったわけですから、幸せな電車だったと思います。