2015年9月12日土曜日

秩父鉄道 100系電車 (1)



秩父鉄道の100系電車は地味な電車でした。
所帯は地方私鉄の電車としては多く、1980年代初めまでは主力車両として活躍をしていました。

81.8.4 上長瀞ー親鼻

長瀞の橋梁をゆく100系電車。
秩父鉄道を代表する風景です。

クハニ24 80.4.27 三峰口

100系電車は一見平凡な外観ながら、扉が中心に寄った窓配置は他の私鉄ではあまり見られないものでした。
制御車はクハが少なく、ご覧のクハニが標準的な存在だったのも特徴です。
台車の交換や前照灯の交換など、それなりに手が加わっています。

デハ104(左)、109(右) 
79.5.13 上長瀞


100系電車同志、上長瀞での離合風景。

デハ109 79.5.13 上長瀞

デハ100形109。
上長瀞で交換する100系電車のうち、奥の上り電車です。
台車が新製のものに交換されています。
晩年まで色々と手を加えられていたのがわかります。


デハ103 79.5.13 上長瀞

こちらはデハ100形103。
上のデハ109と異なり、台車がオリジナルのままです。

デハ102 82.3.30 熊谷工場

デハ100形デハ102。
こちらは前照灯が小さいものに交換されてバランスが崩れてしまっていました。


クハニ21 79.5.11 上長瀞



こちらはクハニ20形クハニ21。
台車は新型のものに換装されています。

デハ104(左)、クハ854(右)
81.8.4 熊谷
1980年からは小田急の1800系が転入して、100系電車の淘汰が始まりました。
熊谷での対面シーンです。
二両目には少数派のクハが連結されています。
クハはデハと異なり、何故か3扉でした。
私は一回もこのクハが先頭に顔を出した姿を拝むことはできませんでした。



デハ103 79.5.13 上長瀞ー親鼻

定番の長瀞橋梁にて。

デハ107 87.11.21 波久礼ー寄居

晩秋の寄居郊外をゆく最晩年の100系電車。
平坦区間では結構なスピードを出しており、その乗り心地は鮮明に記憶に残っています。

クハニ24  87.11.21 波久礼ー寄居

晩年の100系電車は行先表示が左窓上に変更になり、従来のサボ受けには取って付けたように秩父鉄道の文字が掲示されていました。


8 件のコメント:

  1. 大阪市電3001とか広電3000とか、3枚窓の真ん中だけでかい、建築でいうところのシカゴ窓風の顔、やっぱり好きですわー。
    コレ、そのなんとも路面電車な顔がフルサイズ電車にくっついてるのがタマリマセン!

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  2. シカゴ犬殿
    昨晩はお疲れ様でした~。
    均等でない正面三枚窓は独特の表情ですね。
    秩父の電車は正面も側面も塗装も全てが田舎くさくて好きです。

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  3. クハニ、荷物室手動で開け締めしてたなぁ。
    完全に止まらないうちに、ドア開けて車掌が飛び降りたりしていたの覚えてます。
    今じゃ、車掌が乗っていないので考えられない。

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  4. シカゴ窓改造、良いですね。Hゴム化ともども、地方私鉄らしくて良いです。
    オリジナルはなんとも普通な非貫通3枚窓でした。

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  5. maru-ha殿
    そういえば、車掌さんは荷物扉から出入りしていましたね~。
    今考えると長閑な雰囲気でした。

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  6. Cedarさん
    オリジナルな姿は無難すぎて詰まらなかったですね。
    ど真ん中の運転台で丸椅子に座って運転している姿を見たのが印象に残っています。

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  7. 今では3枚窓の真ん中だけ狭い元東急8090系になりました。

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  8. 三等急電さん
    段々編成が短くなって・・・遂に2両編成登場ですね。
    車輛は綺麗になったけど車掌さんも居なくなったし、ちょっと寂しいですね。

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