違和感の根岸線の茶色い電車の二回目は石川町・山手です。
クモハ73293 78.4.7 石川町 |
石川町の大船方にはすぐにトンネルがあって、撮りやすい場所でした。
磯子行きの根岸線直通の73系4連がトンネルに吸い込まれていきました。
クモハ73095 78.4.7 石川町 |
反対側からやって来た八王子行き。
同じ近代化改造のクモハ73形ですが、上の電車とはずいぶん雰囲気が違います。
黒いHゴムとグレーのHゴムが混ざっているのもいただけないですね。
個人的には黒いHゴムはキライです。
クモハ73520 79.9.13 山手 |
こちらは1979年。
ブドウ色電車の終焉が見えてきた時です。
山手の駅も出たところにトンネルがあります。
ブドウ色電車の終焉が見えてきた時です。
山手の駅も出たところにトンネルがあります。
横浜らしい風景です。
クモハ73609 79.9.13 山手 |
振り向いて停車中の上記編成。
駅の反対側もトンネルです。
既に廃車も始まっていました。
こちらは、普段走らなかった磯子以遠の洋光台を自力回送で大船工場へ向かう73系電車です。
そして、その回送電車の正面にはチョーク書きでレクイエムが書かれていました。
近代的な駅と、近代化改造しても前時代的な電車との取り合わせが印象的でした。
続々と廃車が進んでいました。
翌月も根岸線にその最後の姿を見に行きました。
この写真が根岸線での最後のカットになりました。
Good Bye・・・・・。
クハ79432 79.9.18 洋光台 |
既に廃車も始まっていました。
こちらは、普段走らなかった磯子以遠の洋光台を自力回送で大船工場へ向かう73系電車です。
クハ79432 79.9.18 洋光台 |
そして、その回送電車の正面にはチョーク書きでレクイエムが書かれていました。
クモハ73121 79.9.18 洋光台 |
近代的な駅と、近代化改造しても前時代的な電車との取り合わせが印象的でした。
クモハ73277 79.10.16 港南台 |
続々と廃車が進んでいました。
翌月も根岸線にその最後の姿を見に行きました。
この写真が根岸線での最後のカットになりました。
Good Bye・・・・・。
こんにちわー
返信削除レクイエムがあああーーー泣泣泣
国鉄内に詩人がいたのでしょうか、ぐっときます
トンネルと駅、近いとなぜか興奮しますね(爆)
横浜線の72系。町田在住ながらワタクシは一度もその姿を拝むことはできませんでした。
返信削除昭和51年生まれですが、その頃の記憶無いので乗れたなんてすごい羨ましいです。
72系由来の電車は103系3000番台と、クモハ84に乗った位で終わってしまいました。
青春どMさん
返信削除あの時代らしいですね〜。
なんかこういうのって良いですね。
トンネルとホームのセットは萌えます〜。
宵闇さん
返信削除どの世代にも
こういうのってありますね。
自分は京浜東北線の73系に乗れなかったのが悔しかったのですが、わがままってもんですね。
昔むか~しは津久井住民でしたので電車は隣町の橋本駅へ行かないと走っておりませんでした。73系の横浜線、キハ10系の相模線、何度も乗りましたよ^^。
返信削除なので懐かしいっす。
でも関内より先は何故か行った記憶ないのであります。
ぽんキチさん
返信削除津久井の人だったんですか!
橋本行ったらブドウの電車キハ10・・・。
今じゃ考えられないですね。
関内から先って、あんま用事がなさそうですよね。
私も電車撮りに行く用事しかありませんでした(笑)。
これが「国鉄文学」ですね(違
返信削除遅ればせながら150万アクセスおめでとうございます。
返信削除確かに最晩年の73系は桜木町発車後の鉄橋を渡る風景なんか、かなり違和感がありました。そしてすぐ後に同じ場所へ103系が来たりするとスカイブルーが輝いて見えたものです。それでも昼間だけではなく朝のラッシュ時も103系に伍して走ってましたから、都会の通勤電車として見事にその使命を全うしたのではないでしょうか。その意味で廃車廻送時のレクイエムを書きたくなった国鉄職員の気持ちも判る気がします。
お電車よりも背後の山がまだ緑のまま残ってるのに目が行ってしまいました。根岸線の開通以後山手の丘の緑は激減したのでした。
返信削除本題と外れてすみません。
クハ79のレクイエムは洒落がきいてますね。
返信削除幼い頃は桜木町が終点だった京浜東北線は、磯子、洋光台、大船と終点が延びていきました。
そして電車も茶色からスカイブルーに変わっていきました。
ところで、不揃いな色のHゴムは嫌ですね。
73系のHゴムは当初黒でしたが、全金車からグレーになったようです。
しかし、手持ちの本にある半鋼最終ロットのモハ726〇3(〇は8か9)はグレーです。
JNR提供の写真で側面窓下に「III」標記があるので新製時の姿と思われます。
先行して採用されたのでしょう。
その後、101系から103系とグレーHゴムが続きましたが、103系地上車最終ロットは再び黒になりました。
赤羽線10連化と山手線輸送改善のためにMM’ユニットだけ製造されました。
屋根周りが201系風になったことや既存編成に組み込まれたため結構目立っていました。
低Nさん
返信削除そうですね!
道草人生さん
返信削除ありがとうございます。
ちゃんと使命全う、という感じでしょうか。
今の電車よりある意味幸せだったのかもですね。
Cedarさん
返信削除何処もかしこも緑が減っているのは嘆かわしいことですね〜。
元•いきもの部長さん
返信削除山手線に201系みたいな塗り屋根、黒Hゴムの最終増備車入った時はビックリしたのを私も覚えています。
随分昔の話ですね。
ミナト横浜に茶色い電車は違和感が・・・とありますが、実は根岸線開業時は73系の天下で、
返信削除2年弱くらいは103系も入線してないんですよね。
だからオフコースの小田さんの『My home town』の歌詞にある、
『できたばかりの根岸線で君に会った・・・』の根岸線の電車は73系のことなんですよね。
私は103系世代ですが、根岸線の洋光台延伸開業当時のほんの1年くらいは、
ごくたまに茶色い73系の8連がピカピカの『洋光台』のサボをつけて乗り入れてました。
但し、洋光台以南は営業運転で入ったことはありません。
ジモティーさん
返信削除根岸線開業時に103系が走っていなかったとは知りませんでした。
出来たばかりの駅に古い電車というのはどんな感じだったのでしょうか。
レス有難うございます。
返信削除まあ根岸線の開業当時、国電区間の最新型の電車は山手線と中央線、
総武線の一部位くらいしか走っていませんでしたからね・・・。
京浜東北・根岸線に103系がデビューしたのは私が3つか4つの頃で、
幼児の頃の私は73系(中でも頭の上にヘッドライトが乗っかってるヤツ)が大好きで、
新入りの103系は大嫌いでした。と言うのも、当時の103系は暫定8両・6M2Tの強力編成をして
73系のスジを走っていたため、余裕有り過ぎでトロい走りだったからです。
幼児の頃、母親と東京へ行った帰りに乗った最新の103系のチンタラ運転にブチキレ、
「水色の電車遅いから嫌!チョコレート電車に乗る!!」と駄々を捏ねて大森か蒲田辺りで降り、
後続の73系に乗り換えたことを覚えています。
その時の73系が期待通り大爆音で激走(多分遅れ気味で無理矢理)し、
追い上げて来たスカ線とデッドヒートして抜き去ったので、後退して行くクハ111の顔を見ながら、
「ほらね、チョコレート電車の方が速いじゃん!」と母親にドヤ顔で言った記憶があります。
その後回復運転?(多分)で飛ばしまくる103系に初めて乗って、その加速の鋭さや、
レーシングカーみたいなモーターの爆音に惚れて、この電車は本気出せば速いんだ!
とわかってから断然103系が好きになりましたが。
ジモティーさん
返信削除昔の思い出、楽しく拝見しました。
電車のデッドヒートはやはり興奮しますね。
茶色い電車の激走、見たかったシーンですね。
私は山手線から茶色い京浜東北線とのデッドヒートを見たのが記憶に残っています。