そして、翌朝。
朝9時の始業前の時間も有効に活用することにしました。
そう、時間は、作るものです!
瓦町初電で今度は志度線の塩屋駅へと向かいました。
きっぷはこちらを利用 |
きっぷはこちらを買いました。
大好きな京急のデハ1000形が写っているので、これを購入してもペイするかどうかとは別次元でお買い上げ。
602 15.3.16 塩屋 |
塩屋駅で下りの始発電車を見送ります。
この駅で下車した目的は、この駅から歩いて五分程度の高台の公園に琴電オリジナルの3000形が保存されているのを見るためです。
335 15.3.16 房前公園 |
335号は綺麗に整備されて保存されていました。
保存場所は塩屋駅と房前駅の間にある道の駅『源平の里むれ』に隣接されて整備されている房前公園という公園に静態保存されています。
335 15.3.16 房前公園 |
335 15.3.16 房前公園 |
現在は綺麗な状態ですが、一部塗装が剥がれかかっています。
潮風をもろに浴びる高台の保存にちょっと不安を感じます。
15.3.16 房前ー塩屋 |
この335号の置かれた公園の場所からは現役の琴電がこんな感じで見れます。
300(左)、335(右) 90.1.13 今橋 |
今橋で3000形同志の顔合わせです。
この今橋の駅は珍しい右側通行の交換駅です。
335 06.5.26 今橋 |
こちらは現役時代最後に纏った旧塗装に変更後の335号です。
その後、久しぶりに房前側の海べりを走るポイントに向かいました。
626 15.3.16 房前ー塩屋 |
志度線随一の見所であったこの場所も以前と異なり防潮堤が嵩上げされてしまい、電車はかなり撮り辛くなってしまいました。
32 81.3.9 房前ー塩屋 |
こちらは以前のこの場所です。
こうやって比較すると、後の山はすっかり削り取られてしまったのですね。
ここでは一本だけ撮って房前の駅に向かいます。
626 15.3.16 房前 |
折角買ったフリー切符なので、終点志度まで乗車しました。
15.3.16 琴電志度 |
琴電志度の駅は以前の木造駅舎が健在でした。
平賀源内先生生家 |
車窓から見た街並みが良さそうだったので、原駅付近まで平賀源内さんの生家を見ながら散歩。
15.3.16 原 |
春ももうすぐの図。
723 15.3.16 原 |
最後に電車を撮って朝飯前のプチハイク終了です。
723 15.3.16 瓦町 |
瓦町に始業前に戻って来ました。
721 15.3.16 瓦町 |
同じ電車ばっかりかと思ったら、ちょっとずつ違うんですね。
突然発生した高松出張。
それなりに充実した出張鉄となりました。
実は・・・まだあります。
恐怖の屋島の逆落しにもめげず、早朝それも始業前からの濃密な活動には敬服いたします。
返信削除chitetsuさんにとっては朝飯前かな。
琴電の名古屋地下鉄譲渡車の中で切妻でないのは、この2本だけのようです。
ちなみに、第三軌条方式の地下鉄から地上用に改造した電車を、長年の地下暮らしと新設したパンタをはえた羽に見立てて「蝉電車」と呼んでいます。
琴電を含め蝉電車の多くは京王重機の改造ですが、ワンワンさんのレポートにあった福井の車両は市ノ坪に所在した名鉄住商でした。
名鉄600V区間を訪ねたとき、改造で余ったらしき車体を市ノ坪で見かけました。
そういえば、名鉄600V区間が消えてから間もなく10年ですね。
志度線は蝉電車、違和感無しですね。それにしても、瓦町の分離は全く愚かでした。
返信削除道の駅むれのカキフライと牡蛎飯、鯛の刺身はとても美味しいのでお勧めです。
返信削除朝のことでんも琴平線をかっ飛ばす600系はお勧めです。元々低速域の電車で80キロで飛ばすのは必見ですよ!
元・いきもの部長さん
返信削除人間が欲張りにできているようでして・・(笑)
朝は目も覚めるのでちょうど良いかと思ったりしています。
蝉電車、なるほどですね!
熊本にも蝉が誕生ということですね。
Cedarさん
返信削除ここの蝉電車、台車と車体の隙間がどうにも不恰好ですね。
瓦町はTQ渋谷もびっくりのバカ改造でした。
宵闇さん
返信削除ここに行かれたのですね。
朝飯前で残念でした。
まさかあの海べり走行区間の上でカキフライが食べられるようになるとは、ビックリ!
600という電車は琴平線を走らないものと思っていましたが、私もこの時に4連で走って来るのを見て、これまたビックリでした。
琴電志度駅の界隈は、前に書いた屋島参りのときにそれより先に降りており、町を散策して四国88ヶ所札所86番の志度寺、平賀源内の記念館などを見てきたことを覚えています。町内の寺院には、その当時「日本一の枝ぶり」と自慢していた松の古木があって、その松の木も見ているのですが、その後残念ながら枯れてしまったそうです。
返信削除このときに乗り残し、翌年再び訪れたときに乗った長尾線の終点・長尾駅の近くには、こちらも札所87番の長尾寺があり、こちらにもお参りしているのですが、それぞれの線の終点があった志度町と長尾町が、周辺の他の町と合併して「さぬき市」になったのには、その名称も含めて大いに違和感を持ったものです。
屋島寺も84番の札所で、琴電各線の沿線には、他にも札所がいくつかあり、路線建設の目的には、こうした札所巡りの客の輸送も目当てにしていたような気がします。
志度線・長尾線で一生を終えた元京急の230型が、京急時代に最後の働き場とした大師線。川崎大師の境内には、「ミニ四国88ヶ所巡り」(といってもただ札所の名前を彫った石柱が並んでいるだけですが)があり、弘法大師の銅像が建って、参拝客が水を掛けている姿をよく見かけます。
まだやるんか(おまるかくばく)!
返信削除しかし、ホンマに充血× 充実してるなア!
伊豆之国さん
返信削除ことでんの終点には札所や金刀比羅宮などの施設が多いですね。
建設時にはそのような意図もあったのかも知れませんね。
川崎大師にミニ札所巡りがあるとは知りませんでした。
時間はなんぼでも余っているわんわん殿
返信削除嗚呼、時間欲しいよ〜!
北陸&マルーンパパラッチ記事、楽しみにしてます!