『とっきゅうれっしゃ』 |
それが、この本です。
フジヤのようちえんえほん『とっきゅうれっしゃ』です!
文京区・小石川の富士屋書店と言うところから発売された幼稚園児向けの絵本シリーズの一冊で、発売の時期は本からは読み取れませんでした。
裏には名前が・・・・ |
えほん裏側には自分の名前が・・・・
なんとまだ鏡文字書いてますね・・・・。
この本についての記憶は一切なく、たぶん親が保管していなかったらまずこの世には残っていない存在になっていたのではないかと思われます。
整理作業も忘れて本の中身を見てしまいました。
本のテーマが何たって『とっきゅうれっしゃ』ですから、私の好きな吊り掛け電車は80系以外何も登場しません。
登場するのは見たことはあってもまともに撮っていない電車ばかり。
今となってはちゃんと撮っておけばよかったと後悔の念ばかりが去来するコンテンツの連続です。
でも、折角だからそれでも一枚だけでも撮っていないか?とネガを探してみました。
そんなわけで、本の中身に呼応した画像を組み合わせてChitetsu版えほんを作ってみました。
国鉄編と私鉄編の二部作構成でお送りする『Chitetsu版・とっきゅうれっしゃ』、ご笑覧ください。
一回目は国鉄編です。
91.3.24 相生 |
表紙はやはり、新幹線0系です。
08.10.18 姫路 |
0系末期のリバイバル色を姫路で撮りました。
やはり新幹線の6両編成は模型にしか思えません。
EF60 510 80.5.21 西国分寺 |
新幹線をアンダークロスするのは今やカウントダウン中のブルートレイン。
その先頭に立つのもEF60です。
時代を感じますね~。
EF60がブルトレ牽引機として華々しく走っていた時代はそんなに長くなく、私が見たEF60はいつもこんな感じでした。
さいしょのぺーじ。 |
えほん、最初のページは東海道新幹線と東海道線の競演が大きく取り上げられています。
イメージは新橋付近でしょうか?
この絵の作者の癖でしょうか、全体に腰高で、窓が大きいです。
0けーの窓は特に大きい!
下段にはブルドック特急と何故か交直急行が。
既に表題の『とっきゅうれっしゃ』のコンセプトが破綻しています!
EF66 48 90.5.2 新大阪 |
こちらは新大阪から乗車した臨時特急『あかつき51号』です。
この時の九州行は大阪まで新幹線、そこからブルトレに乗り換えて佐世保を目指しました。
既に定期ブルトレからは引退した20系でしたが、このような臨時列車には未だ充当されていました。
90.5.2 新大阪 |
特徴的なバックビュー。
20系客車に乗ったのはこれが最初で最後であったと思います。
『走るホテル』ともてはやされた時代とは既に状況はかなり変化しており、三段寝台は思った以上に居心地の悪いものでした。
クハ153-514 79.3.14 名古屋 |
153系も華々しい時代はそんなに長くない電車でした。
こちらは名古屋で見た非冷房のクハ153です。
どのような列車だったのかはわかりませんが、編成主体は155系で構成されたごちゃ混ぜ編成でした。
キハ81 3 78.7.15 名古屋 |
中央西線の80系電車と並んだブルドック・キハ81。
色々とトラブルの多かったキハ81。
黒潮で最後の活躍をしていました。
85.1.27 豊原ー白坂 |
下段で紹介されていた交直両用急行型はこんな感じでしょうか。
165系、キハ58系と共に日本全国を駆けずり回った急行形車両も北陸新幹線開業でついに終わりを迎えそうです。
さんばんめのぺーじ。 |
二番目のページは関東私鉄の特急電車なので続編に回します。
三番目のページは『こだま形』がメインに紹介されています。
『こだま』より『とき』が大きく扱われているのは何故でしょう?
恐らく、新幹線開通後の発刊なのですでに『こだま』の時代で無くなっていたのでしょうね。
気動車特急は前のページのブルドックからキハ82系『白鳥』になっています。
クハ76047 78.3.17 新潟 |
新潟で耐寒仕様の70系電車と並んだ181系『とき』。
奥には旧型客車の姿も見えます。
背後では181系を駆逐する新幹線が工事中でした。
91.1.3 梅ケ谷ー紀伊長島 |
こちらは紀勢線のキハ82。
晩年には何回か訪れました。
よんばんめのぺーじ。 |
四番目のページは東海道間の新時代をアピールしているような紹介記事ですね。
新幹線と東名高速との交差シーンは良く取り上げられているシーンですね。
描かれているクルマも懐かしいですね。
真正面は東京ナンバーのセドリックでしょうか?
下段は修学旅行電車とたから号です。
子供心にたから号のテールマーク付き鶯色の緩急車は印象深いです。
クハ155-1 79.7.15 名古屋 |
一般用に改造された後の修学旅行電車のクハ155-1。
屋根上のグロベンが湘南色になるとなお一層安っぽく感じます。
ななばんめのぺーじ。 |
五番目、六番目のページは関西私鉄電車です。
関東私鉄が一頁なのと比べると流石に私鉄王国・関西を感じさせますね。
そして、七番目のページがこちらです。
いかにもな須磨付近のシーンが大きく扱われています。
ここで漸く吊り掛け電車登場!イエ~ぃ!
一番上段を走る山陽電車はアルミ試作電車、二段目の151系『つばめ』も順当でしょうか。
山陽筋行ってからはがらがらだったというパーラーカー、ちゃんと見ておけば良かったです。
この車両の保存車が無いのは痛恨でしょう。
下段にはEF60が表紙に続いて『あさかぜ』で再登場しています。
そして、その左には何故か準急型のキハ55らしきものが登場。
これはよくわかりませんが、教育上このセレクトには問題があるのでは?!!
さいごのぺーじ。 |
最後のページは九州編です。
九州編では何と!C61牽引の特急列車が!
そして何故か????
快速電車が!
どこが『とっきゅうれっしゃ』なんじゃ!
C62 17 14.9.19 リニア・鉄道館 |
ちょっと違いますが、蒸気牽引の列車イメージはこちらで。
汽車音痴のChitetsuにはC61とC62の差は??であります。
ED72 17 81.3.21 荒尾 |
ED72は三井三池鉄道訪問時に荒尾で撮っていました。
ED72のお顔はどこかスネ夫を想起させるのは私だけでしょうか?
クハ421-49 79.3.15 常盤ー草江 |
本州の宇部線を走る交直両用の快速電車。
この当時の宇部・小野田線は茶色い電車の天下でした。
その中、九州からやって来るローズピンクの電車は光っていた感じがしました。
『とっきゅうれっしゃ』の国鉄編は以上です。
次回は私鉄編です。
東海道新幹線開業時の姿と言えば、絵本のほかブリキの玩具でも列車番号表示機がボンネット横に備わるのが常でしたね。
返信削除試作A編成だったか、そこに『夢の超特急』と表示されていたのには当時の憧れを具現化したものだと感じずにはおれません。
12号線さん
返信削除登場時の新幹線のイメージは大抵試作編成のスタイルでしたね。
列車番号表示器は過去から何度も試作されては消えてしまうケースが多いですね。
こりゃまたものすごい記事ですね・・・・
返信削除すばらしい!
スコールカーは伊豆急やけど(糞爆パーラーカー)・・・・
こくてつとっきゅう♪ うれしいな♪
返信削除確かに「特急」タイトルに急行・快速はダメですよね。
ワタシは「電車」タイトルに気動車・機関車で、いぬこという人にどえらく怒られて泣いたことがあります。
しかし絵本に山陽が出てくるとは・・
私鉄編が楽しみです! ちなみにワタシのスネ夫はオーシャンアローでーす(ごぞんじでしょうか・・・)
はじめまして、軽便行者と申します。
返信削除作者「安井小弥太」は絵本世界では、有名人のようで作品も多い人です。画像検索すれば、鉄道以外にも様々な「のりもの」絵本作品があります。経歴によると、「鉄道省嘱託」だった時期もあるそうです。
絵本は何でもありでした。
返信削除私の所有していた物には、日暮里の北側を西側高台から俯瞰した絵がありました。
手前から72京浜東北、103山手、181とき、157日光、曲がっていく401?常磐、その上には京成青電。
そんな都合のいい並びがアラスカァー(名古屋弁)。
実家に帰った時に探してみようかな。
いぬこJ”ゆんどの
返信削除ありがとうございます!
そういえばスコールカーじゃなくてパーラーカーでしたね〜。
密かに直します^o^。
Mじゃね さん
返信削除いぬこどのがその話をしてましたね!
表題つけるのも難しいですね。
オーシャンアローも確かにスネ夫っぽいですね。
台湾にも最近スネ夫が増えているらしいですよ。
軽便行者さん
返信削除はじめまして。
作者名検索してみました。
懐かしい雰囲気の絵がたくさんありますね!
特にぶどう色の国電に痺れました。
コメント、ありがとうございました。
シグ鉄さん
返信削除子供の頃見たっきり封印された絵本や図鑑を何十年も経ってから見るのは、タイムカプセルを開けるみたいで楽しいものですね〜。
この手の画家は大抵写真を元に絵を描いていると思うけど、結構いい加減です。戦前の本には国鉄が右側通行になっているのもありました。
返信削除ときのクハが運転室上に前照灯付きというのも、子供の本だからといって見逃したくはないですね。
「鉄」系の絵本というと、私が幼年時代に読んだ「きかんしゃ やえもん」という本(今でも箪笥の奥にしまってあります)を思い出します。「やえもん」こと1号機関車が「田舎のローカル線」に行って、「レールバス」や電車に「貧乏汽車」とからかわれて…。後になって、それが「貴重な文化財」だったとわかって、「交通博物館」に引き取られる、というストーリーでした。それからずっと後、大人になってから、その「田舎のローカル線」が島原鉄道だったことを知ったのでした。この絵本には、「やえもん」が駅で電車と顔を合わせるシーンが出てくるのですが、長崎線が電化されたのは昭和も50年代になってからなので、その当時の話に電車が出てくることはないはずで、やはりドラマでもよくありがちな「確信犯」的な作り話だったのでしょうか。
返信削除都会育ちで、父の故郷であった伊豆方面も電車だったので、身近に見ることもないSLは「博物館で見るもの」だけ、「鉄」系の興味が専ら電車に限られたのは無理もなかったのでした。国鉄の特急は「高嶺の花」だった幼年時代の「憧れの列車」は、小田急のロマンスカーと、伊豆への旅路で何度もお世話になった「湘南電車」の急行列車だったのでした。
古い本と写真のコラボ記事は楽しいですね。
返信削除私鉄編が楽しみでーす!
モハメイドペーパーさん
返信削除この手の絵は雰囲気的にはなかなか見ていて懐かしいし面白いのですが、どうしてもツッコミたくなっちゃうことがイロイロありますね。
私もときのライトは気付いちゃいました〜。
伊豆之国さん
返信削除島原鉄道のしたたかな駆け引きは小説にもなりましたよね。
幼児体験が興味の方向性を決めてしまうという事は結構あることでしょうね。
私も阪急電車ばかり見て育ったので、汽車についての原体験がないので、電車キチになったのだと思っています。
Cedarさん
返信削除ありがとうございます!
間も無く、私鉄編・とっきゅうれっしゃがまいります〜!
いろいろと「?」な車両選定には、発行された時期が新幹線開業直後ということに関連しているようです。
返信削除先ずは九州編ですが、この時期に電化されていたのは久留米の1つ先の荒木までで、交直流電車の配属は近郊型のみ、特急電車は門司-博多間でED73に牽引される151系つばめだけでした。
ブルトレも博多で蒸気機関車に交換されていました。
65年秋に熊本まで電化されると、交直流の特急電車や急行電車が配属、未電化区間のブルトレもDD51牽引となり、一気に動力近代化されました。
東北も似たような状況で、電化は仙台と平までで、交直流急行電車は走っていたものの特急電車はありませんでした。
これは、電化区間を走る特急が「ひばり」1往復のみで、共通運用の都合上キハ82系にせざるを得なかったようです。
こちらも65年秋に盛岡まで電化されると、交直流特急電車が走りだし、盛岡以北のブルトレも蒸気機関車からDD51牽引となりました。
あえて急行型や近郊型を登場させたのは、電化が動力近代化の象徴だったからでしょうか?
実は64年に交直流特急電車481系が登場していて、同時期に電化された富山まで「雷鳥」「しらさぎ」が運行されました。
キハ55は当時特急がなかった四国の列車を載せるためでしょうか?
そうであれば、特急の走っていた北海道が載っていないのが不思議です。
モハメイドペーパーさんが指摘された「ときのクハが運転室上に前照灯付き」の件ですが、この時期は正しかったようです。
運転室上前照灯の撤去は66年末で「あずさ」の運転に際して狭小トンネル対策として実施され、共通運用する「とき」にも及びました。
なお、特急用で屋根が低かったため低屋根改造はありませんでした。
155系は中学校の修学旅行で乗りました。
修学旅行電車としての最終シーズンだったのは幸運でした。
最後尾で流れる車窓を眺めていたら、車掌さんが乗務員室の中に入れてくれました。
155系・159系は、修学旅行シーズン以外は臨時列車に使用するため狭小トンネル対策として全面低屋根構造になっていますが、パンタのない車両まで低屋根なのはこの系列だけです。
部分低屋根になるのは101系800番台以降となります。
余談になりますが、最初に部分低屋根を採用した営業車は401系・421系でした。
もちろん狭小トンネル対策ではなく高圧での絶縁確保のためです。
ついつい話が長くなってしまい、申し訳ありませんでした。
元・いきもの部長さん
返信削除長編コメント、ありがとうございました。
新幹線開業の頃はまだ特急列車自体が特別なものであった時代でした。
L特急なんて出来る前は、各方面あっても数本という感じでしたよね。
その時代は、確かに動力近代化がエポックであったのでしょうね。