2015年2月26日木曜日

1984年2月 31年前の西ドイツ国鉄


2月も最終週、そろそろ卒業のシーズンですね。
1984年2月、リクルートヤングツアーを使って卒業旅行で訪れたヨーロッパ。
ロンドンから始まった西欧各国巡りの初の海外旅行。
その旅行の中盤に西ドイツのロマンチック街道を訪問しました。
日本では現在ほどには有名でなかったロマンチック街道を南側フュッセンからヴュルツブルクに向かっての366㎞を、ツアーバスでは無くユーレイルパスを使って鉄道で回るのは結構難儀なものでした。


211 153-2 84.2.24 Füssen

ロマンチック街道の旅のスタートはノイシュヴァンシュタイン城見学でしたが、その後のフュッセンから列車でのロマンチック街道を辿る旅はすぐにアクシデントに遭遇しました。


118 047-3 84.2.24 Augsburg Hbf

西ドイツのEF58と言えそうな118形機関車牽引の列車でアウグスブルグから本日の宿泊地に向かう時は既に陽が暮れかけていました。
緯度の高いヨーロッパは冬場は夕暮れがそれなりに早いです。
そしてアクシデントはその日の宿泊目的地である中世都市の面影を残すことで有名なネルトリンゲンに向かう列車の乗換駅(多分ドナウヴェルト)で発生しました。

乗換え駅で待てどもホームに人影無く列車は来ず、??と思っていると、珍しく我々以外誰も居ない夜のホームに構内放送が流れました(向こうでは駅のアナウンスは必要最小限か無いかのどちらか)。
しかしながらドイツ語放送を分かるはずも無い我々には、それが我々に向けての放送と分かるわけもありませんでした。
そこで、不審に思った駅員さんが我々の居るホームまでわざわざやって来てくれました。
駅員『どこへ行くんだ?』
我々『ネルトリンゲンへ。』
駅員『今日はもう列車が無いよ』
我々『えっ?』
駅員『今日は土曜日なので夕方以降の列車は運休だ』
そうなのです、時刻表を良く見ると土休日運休のマークが付いていたのでした。
途方に暮れた我々にすかさず駅員さんは、
『知り合いのタクシーを呼ぶからそれで行きなさい』
とタクシーを呼んでくれて、見知らぬ外国の若者だからと運賃も事前に値切って決めてくれた上にリーズナブルなホテルまで連れて行ってくれとの話までつけてくれました。

初めての海外旅行に加えて見知らぬ地で夜になってからのアクシデントに大変戸惑いましたが、この暖かい対応には大変に感謝をしたのであります。
右も左もわからない日本人大学生4人を乗せて闇の中を突っ走るベンツタクシーも良い経験でしたし、宿泊したネルトリンゲンのホテルも大変フレンドリーで、記憶に残る場所となりました。

お世話になったネルトリンゲンのホテル
84.2.25 Nördlingen


と言うことで、前置きが長くなってしまいましたが本日は31年前の今日、そのような経験をした時のドイツ国鉄の鉄道風景です。



110 216-9 84.2.26 Aalen 

タクシーで連れて行ってもらったホテルは恰幅の良いいかにもドイツのおばさん、と言う雰囲気のオーナーの小さいながらも清潔で親切なホテルでした。
その翌日は雪雲の中、中世の街をじっくりと観光して、ローテンブルグを目指しました。
当日は日曜日。
教会のミサのある日曜日の午前中はローカル線では列車が結構な本数で運休をします。
日本では考えられないことですが、ここネルトリンゲンでも午前中の列車は全て運休。
幹線の接続駅のアーレンまでは仕方なくバスで移動しました。
列車に乗れなかったのは残念でしたが、乗車したバスは、途中の小さな街ごとに小まめに立ち寄ってはまた走るために、ドイツの田舎の生活風景が垣間見れてこれはこれで貴重な体験でした。
前日のタクシー騒動と合わせて、異国のローカルバスに乗るという体験は結果オーライであったような気がします。
こちらはそのローカルバスで到着したアーレン駅です。

 84.2.26 Aalen

この時期のヨーロッパは概して天気がぐずつき気味です。
朝になると薄く雪化粧をしては溶ける、の繰り返しが何日も続いていました。


84.2.26 Aalen

しんしんと冷えた異国のプラットホームはこれまでに見たことのない魅力を感じました。

84.2.26 Crailsheim

ここはまた途中で下車した駅です。
どんな接続の都合で降りたのかとかはすっかり忘れました・・・。

84.2.26 Crailsheim

雪の残るこの寒々とした風景、結構個人的には好きです。

84.2.26 Crailsheim

ローカル列車の客車はこのステンレスの車体のものが多く運用されていました。

84.2.26 Crailsheim

こんな風景も異国情緒を感じさせます。


84.2.26 Crailsheim

おひげの車掌さんは乗客の各駅での乗降をしっかり見ていて、乗車後にちゃんとやって来ます。
その記憶力に脱帽しました。

84.2.27 Stainach


ローテンブルグでの観光後、翌朝は又もや一面の雪景色になっていました。
乗車する列車は雪を突いて到着しました。


84.2.27 Würzburg

ここ、ヴュルツブルグでロマンチック街道の旅は終わりました。


84.2.27 Würzburg


6 件のコメント:

  1. いつものドイツですね!

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  2. ドイツ犬どの
    そうです、いつものドイツです!

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  3. ゆうえん・こうじ2015年2月26日 20:12

    私もこの時期に最初にヨーロッパに行きはじめました。
    思えばこの頃はTEE最後の時代だったようです。ラインゴールドやゴッタルトにも乗りました。
    いまはICEばかりで、快適便利にはなりましたが風情はなくなりましたね。どこかの国と一緒で盲腸ローカル線も廃線になってしまいました。

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  4. ゆうえん・こうじさん
    先日は折角の上京だったのにお会いできず残念でありました。
    1984年と言えば確かにTEE末期でしたね。
    数少ないTEE、私も写真を撮った記憶があります。
    客車列車全盛のあの時代の鉄道風景を見られたのは良かったと今思います。
    自動連結器とは全く違うショックの無いリンク式連結器とバッファーの乗り心地とシャーという独特の走行音が記憶に焼き付いています。

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  5. ドイツ形!ってすぐわかる車両がいっぱいです。
    今じゃドイツもコイツもフランスも、みんな似たような車両になっちゃいましたね。

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  6. Cedarさん
    この頃の車両は各国の個性がはっきり分かるものが多かったですね。
    今は鉄道車両も車も似たり寄ったりで詰まらんです。

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