2015年1月12日月曜日

お知らせ 拙作の国鉄80系電車がクラフトモデルスに出ました!

お知らせです。

CRAFTMODELS最新号

拙作の国鉄80系電車がCRAFT MODELS最新号で紹介されました!



こんな感じです

記事の内容はこんな感じです。

他の旧形国電とも一線を画す国鉄80系電車は自分の国電模型ラインナップでは一番後回しになっていました。
理由は、作るとなればそれなりの長編成で作りたいのでついつい後回しになってしまうと言うことと、KSのキットのHゴム表現がどうしても違和感があり、それをクリア出来ずに先延ばしになっていたと言うことの二点でした。
一つ目は気持ちの問題ですが、二つ目はHゴム作り直しと言う現実の問題があり、試作はしたものの踏ん切りがつかずにいました。
その話をいつもの旧形国電友達のSくんにしたら、その面倒な改造を引き受けてくれるとの有り難いお言葉。
遠慮も無く早速お願いした事で、急速に工作が進むことになりました。
今回の記事掲載はその面倒な作業を請け負って貰ったSくんへの感謝も込めて書かせて頂いたものです。
製作したのはクモニ83を含めて11両です。

車種選択は悩みました。
結論としては山陽線の6連と信越線の4連としました。
信越線は本来なら6連ですが、キットネタ不足で残り2両は後日追加増備ということで車種を決めました。

本ブログでも過去に紹介しました。

こちら⇒模型の世界に生きる山陽本線電車
こちら⇒模型の世界に生きる信越線電車

あわせてご覧ください

岡山の80系

こちらは山陽本線の80系の両側先頭車です。
晩年の山陽本線には初期製造車の多くが集結し、魅力的な編成を構成していました。
特に正面3枚窓の一次車はほぼ全数が山陽本線筋に集まっていました。
また、湘南顔初期車も同様に山陽本線筋に集まっていました。


長野の80系

こちらは信越線の80系の両側先頭車です。
信越線の80系の魅力は耐寒装備をしている事で、それ以外にも好みは別れるでしょうがトンネル対策で換装したPS23装備のモハ80形が居たことも特徴で、これも作ってみたい題材でした。
晩年の先頭車不足でサハ87から追加改造を受けたクハ85も作ってみたい題材でした。


80系先頭車4両

先頭車4両です。

製作中の様子

こちらは製作中の様子です。
記事でも書きましたが、10両中の3両はエンドウの完成品を中古で購入してシンナードボンして加工しました。





左のクハ86はSくんにHゴム作り直しと合わせて鼻筋を通してもらっています。
いいお顔になっています。
中間のクハ85はP社のキットです。


各車の基本構成


床下はこんな感じでキット組立品も完成品加工品も統一しています。

若干、実車写真です。

クハ86025 77.12.21 姫路

私が写真を撮れる年齢になった時には京阪神区間からは80系は引退していました。
実見した80系は東海道線は米原までで、次は山陽線の姫路に飛びます。
姫路で見たこの電車は快速運用の岡山行でした。
先頭のクハ86025は湘南顔の最初期車の一両です。

クハ85102 77.10.3 高崎

こちらの信越本線80系の6連にはサハ87改造のクハ85が先頭についていました。
クハ85はサロ85改造で誕生した電車ですが、後年サハ87改造のグループは活躍時期も短く、目立たない存在でした。

長野の80系は耐寒装備、横軽対策、トンネル対応PS23換装などの改造がなされていて高崎まで運用されていました。
奥の70系電車は両毛線です。

クモユニ81003(左)、クハ86075(右)
80.3.5 松本
松本で顔を合わせた80系。
左はスカイブルーに塗られて戦前形と手を組んで活躍するという、本来の80系の使命とは別の用途で使われているクモユニ81形です。
右手は中央西線の80系電車です。

クハ86075 80.3.5 木曽平沢ー奈良井

木曽路をゆく80系電車。
木曽路の80系電車は電化から115系への置き換えまでそれほど長い活躍ではありませんでしたが、印象に残っています。


クハ85307 80.3.5 藪原ー奈良井

木曽路の80系電車は大糸線や飯田線と抱合せで訪問をすることができたので、何度か撮りに行けました。
私にとっては一番近い存在の80系電車でした。


3 件のコメント:

  1. 製作記事の掲載、おめでとうございます。
    途中から前面2枚窓になったクハ86とEF58には、製造途中で変更した異端車がいました。
    ともに2両だったのは単なる偶然でしょうか。
    サハ87改造のクハ85は100番台と300番台からの改造でした。
    余命を考慮したのでしょう。
    運転台設置は、当時中間車化を進めていた大手私鉄とは対照的でした。

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  2. 元・いきもの部長さん
    コメントありがとうございます。
    どちらの形式も戦前のデザインから脱却する試行錯誤の時代を象徴する存在ですね。
    クハ86が2両なのは解せるとして、
    EF58が2両なのは偶然でしょうか?
    長編成前提の80系は転用時にやり繰りが結構面倒であったのでしょうね。

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  3. 阪和の60・55大好き男2023年1月15日 8:22

    chitetsuさん いつも楽しみに見せて頂いております。80系は幼少時から両親の里帰りのためによく大阪~姫路を乗車した思い出の車です。とても好きすぎてフェ社やK社のキットを山ほど買ったこともあります。
    社会人になっても休日には姫路~岡山を乗って1日を潰しました。やはり思い出は客扉・デッキ内扉で2重の防寒となって1月・2月の今日のような寒い日でも車内はヌクヌクとして暖かく、三石~吉永~和気の緩いカーブ・勾配の連続区間、空いている車内に南側から座席に差し込む暖かい陽だまりに(世の平和)を強感しました。しかし私のお気に入りは、3枚で構成された連結面間の渡り板、その幅の広さでした。(153系の栄渡り板も3枚構成でしたが、狭い) 模型製作にあたってはこれも再現したいと悶々したまま現在に至り、中途半端です。妻面の配管よりもこだわりたい・・・の変態男の反省です。

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