2014年12月4日木曜日

祝! 1000記事  京急デハ1000形特集 その2・普通列車篇

1000記事記念のデハ1000形特集、二回目は普通列車編です。
晩年の普通車運用が中心になってからは、機会を見つけては訪問しました。
快特を始め地下鉄直通特急にバンバン腐るように走っていた時に撮れば何の苦労も無く撮れた1000形。
その頃は、撮りたい被写体が豊富で1000形はどうせいっぱい居るから大丈夫と後回しにしていたツケがちゃんと回って来てしまいました。
行く時によって団子で何本も来る時もあれば、ダルマさんしか来ない時もあってヤキモキしながら待つ事も結構ありました。
身勝手な話ですね。
そんな思いをしながら撮ったデハ1000形の普通列車の写真を本日はご覧ください。

デハ1368 06.1.28 六郷土手

六郷土手のホームから見た下り電車。
トラス橋を潜り抜けて走るようなシーンが撮れる六郷土手駅は良く訪れました。
このホームから見えるJR線の113、103、209系と言った電車も既に過去帳入り、世代交代は着実に進んでしまっていますね。

デハ1340(左)、デハ1380(右)
01.2.26 青物横丁ー鮫洲

青物横丁付近での1000形の離合です。
ここは結構な急カーブで走っています。
高架にする時も線形は変えられなかったようですね。

デハ1250(左)、デハ1320(右)
04.2.8 神奈川

こちらは神奈川での1000形の離合です。
方向幕が地元の利用者じゃないと分からないであろう『文庫』、『新町』の方が京急らしくて好きでした。


デハ1369 04.2.8 神奈川ー仲木戸

仲木戸から神奈川の間は何回か訪問しました。

デハ1344 04.2.8 神奈川ー仲木戸

こちらはもう少し神奈川寄りの場所です。
幌を付けて走った編成は少なく、精悍なこの姿も魅力的でした。

デハ1243 04.2.8 神奈川ー仲木戸

神奈川のホームから見た下り電車。

デハ1313 03.3.30 弘明寺ー井土ヶ谷

弘明寺付近をゆく4両編成。

デハ1291 03.3.30 弘明寺ー井土ヶ谷
こちらも同様です。

デハ1312 03.3.30 弘明寺ー井土ヶ谷

未だジャンパ栓受けの痕跡が残るデハ1312。

デハ1291 06.3.3 京急富岡ー杉田

歴史のありそうなトンネルポータルに吸い込まれてゆきました。

デハ1369 09.4.2 京急富岡ー杉田

一度は撮ってみたかった富岡の桜。
左側の桜が以前に比べると改修工事で随分しょぼくなってしまいましたが、引退前になんとか間に合いました。

デハ1305 09.1.6 京急川崎

本線系統から相当数が引退したあとも大師線では主力で活躍が続いていました。
その中でも毎年楽しみであったのが干支の看板を掲示した正月の風景でした。
毎年デザインが変わるのもお楽しみでした。
干支看板特集はこちら(⇒京急大師線の干支方向版付き電車)。

デハ1329 09.4.9 京急川崎ー港町

港町付近の急カーブをゆっくり走るデハ1000形。
本線を走る1000形とは一味違ったローカルムードがありました。




4 件のコメント:

  1. 京浜急行は1990年代以降横須賀方面への用務でしばしば使っており、(旧)1000形がそれなりに多かった頃に何とか間に合っています。一方で、原型の2000系と700系には乗る機会がありませんでした。「文庫」「新町」表示も変わっているなと思いながらも当時の風物詩として覚えています。

    前回の1000形特集とも関連するのですが、今でこそ旧1000形はNゲージの完成品がいくらかありますが、1980年代にさかのぼるとGREENMAXのキットが唯一のものでした。片開き扉に扉間の窓が3枚という小田急2200形に始まる「関東型車両」のレイアウトなので、多くの付録前面との組み合わせでいろいろな社の車に仕立てられる、という特徴があったのですが、製品としては初期のものだったので組み合わせが良いとは言えず、うまく組み立てるには結構苦労するものでした。それでも「関東型車両」の特徴を生かした車の他、切り継ぎで同時期の色々な車への改造が模型誌で紹介されています。印象に残っているのは元名鉄旧3700形の琴電1020形で、前面も当時の流行に乗ったものか、共通性が高いので少しの加工で似たものに仕立てられています。
    以前話題に出た京成3300形も付属前面があるのですが、京成3500系(原型車)のステンレスのコルゲートを全部削り落とす、という重加工が必要なものでした。

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  2. 元・いきもの部長2014年12月5日 2:38

    京急デハ1000形は数が多いだけでなく、改造によって前面のデザインが統一されてしまい、クーラーと足回り以外はほとんど同じ形態になったことも記録に残されにくかった原因かもしれません。
    幌を付きは、12連快特のためだったのでしょうか。

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  3. 原口さん
    こんにちは。
    GMのキット、懐かしいですね。
    そしてかなり強引なおまけパーツ。
    スケールや組みやすいか否かという問題はあるとは言え、正に『作る楽しみいっぱい』でしたね。
    これはこれで良かったのかなと思えます。

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  4. 元・いきもの部長さん
    そうですね。
    改造で些細な部分を除いて似たり寄ったりになってしまいましたからバラエティを楽しむ感じでは無くなってしまいましたね。
    その中では貫通幌装備車は目に付く存在でした。
    時代によって幌がついたり外されたりしていましたが、この時代の幌は4+4編成を作るためではなかったかと。

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