お買い上げ |
小田急鉄道コレクション恒例の行列完売などのフィーバー無しの発売なので、安心して空いた時間にお買い物出来るのが嬉しいです。
箱の表紙は模型 |
内側には当時のポスターが・・・ |
パッケージはこんな感じです。
今回も渋い線を突いて来ましたね。
この時代の姿を我が目で見た人はかなり少なさそうです。
小田急1900・1910形は戦後の資材不足の時代に登場した運輸省規格形電車です。
3扉の1900形と2扉の1910形が誕生しています。
中間のサハは戦災国電の台枠活用車でした。
運輸省規格形の同級生はいっぱい居ます。
例えば、
ご近所では・・・・・・東急3700系(⇒こちら)
中京圏では・・・・・・名鉄3800系(⇒こちら)
関西圏では・・・・・・京阪1300系(⇒こちら)
さらにもうひとつ・・・山陽820系(⇒こちら)
そして九州では・・・西鉄303系(⇒こちら)
等があります。
特急車3連 |
初代ロマンスカー3連。
『ロマンスカー』の愛称はSE車のずっと先輩のこの電車登場時に付けられたものです。
小田急顔 |
この小田急顔もこの系列から始まったと言って過言ではないでしょう。
車体幅はちゃんと違います |
デハは戦後の運輸省規格型、サハは戦災国電の台枠利用なので車体幅も妻面形状も異なっていました。
模型でもその違いがちゃんと表現されていました。
かぼちゃカラー勢揃い |
近鉄の2200の塗り分けを頂いたというこのかぼちゃカラー、1910形が元祖です。
かぼちゃカラーの鉄コレも揃ってきました。
実物編です。
クハ1964 72.11 経堂 |
地平時代の経堂の車庫で休むクハ1964。
72.11 経堂 |
左右とも切れていてどうにもならない写真ですが、小学生時代に撮った写真ですから笑ってやってください。
1900形の廃車は1976年と比較的早かったので、それなりに地方で再就職しています。
モハ5231 81.8.18 寿ー三つ峠 |
まずは富士急行。
こちらが一番数がまとまっていました。
同じ小田急車に追われました。
モハ1905 81.4.8 岳南富士岡 |
こちらでは少数派でした。
デハ、サハ1両のみでした。
編成の反対側のモハは1600形でした。
ここ岳南では先輩の1600形や1300形などの方が幅を利かせていました。
モハ1906 91.10.20 新金谷 |
こちらでは魂を抜かれた北陸ロマンスカーの牽引用の機関車みたいな不思議な使われ方をしていました。
モハ124 81.3.7 古町 |
こちらの電車は小田急の雰囲気がかなり無くなっています。
非貫通3枚窓に改造すると随分と貧相になってしまいますね。
折角(?)の埋込みライトもわざわざ取付式に改造しているのも伊予鉄の拘りでしょうか?
中間に西武線を挟んでいるのも面白いです。
各地に嫁いで活躍した1900形でしたが、ロマンスカーを体験した旧1910~2000形は1両も再就職を果たせずに解体されています。
もしかしたら、比較的素材の悪かった戦後規格型の弱みから、通勤型改造が祟ったのかもしれません。
●マン●カーおっちゃん、おはようございます。
返信削除お買い求め、ありがとうございます!
五島慶犬@デハ3700と申します。
質問です。
運輸省規格型はキャンバス屋根、と決まってたでしょうか?
この1910の屋根の薄いグレーはキャンバスっぽくないですよね?
東急3700はどうなんでしょう?
樋がなくなっちゃったりしたヤツもいますね?
改造でキャンバスを止めたんでしょうか?
わからんわからんわからんわあああああ
ぼくも東大へ逝けるように教えてくださいー。
今回の小田急鉄コレ、ネタがネタだけに小田急沿線の取り扱い売店では売れた気配がないのが残念ですね。
返信削除今後の譲渡車両の展開が鉄コレであったら楽しみですね。
今年の秋にはNゲージサイズで向ヶ丘遊園モノレールも製品化されるみたいで楽しみです。
五島慶犬殿
返信削除始めまして(笑)!
ご質問の答えは良く判りません。
でも恐らくその当時の電車は大抵キャンバス屋根だったのではないかと思います。
雨樋に見えるのは基本キャンバス押さえ兼用だったと思います。
でも確証はありませんです。
宵闇さん
返信削除今回も売れ行きの良くなさそうなネタを出してきましたね。
向ヶ丘遊園のモノレールが製品化とはびっくりです。
どうせ作るなら例の姫路のモノレールを作って欲しいです。
実物写真のクハ1964は旧帝都電鉄車の車体載せ替えです。
返信削除旧車体は荷電に載せ替えました。
既にHE車を投入していた1960年に、何故こんな古臭いデザインの車体にしたのか理解に苦しみます。
2100形のような張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダー、広窓でも問題ないと思われます。
ロマンスカーを体験した車両が再就職を果たせなかったのは、やはり通勤型改造が大きかったのでしょう。
扉の増設だけでなく、既存の扉も窓1ツ分移動させていますからね。
近日、久々に富士急の小田急譲渡車が登場します。
そう、20000形「RSE」が「フジサン特急」になります。
今回はロマンスカーを体験した車両が再就職を果たしました。
しかも3両編成で‥‥
おっちゃん、ご回答ありがとうございますー。
返信削除でも東大には逝けなさそうです(核爆)・・・
向ヶ丘遊園のロッキード式!?
まあまあほしいけど、やっぱり姫路がほしいな、、、
五島犬さま
返信削除半鋼製車体時代において、屋根まで鋼板で造っていのは省電モハ60とか、モハ50あたりまでで、
戦争で資材が不足すると姿を消してしまいます。
運輸省規格形は資材節約が大きな目的ですので、鋼板屋根はありませんでした。西鉄だけ冷房機を載せるために後天的に改造したのみです。
屋根の色ですが、キャンバスを張った上に滑り止めの砂を撒くことがあり、会社によってそれが明るいグレーだったり黒だったりの違いがありました。小田急がグレーなのはそのあたりを反映しているのでは?砂は走っているうちにとれて、結局汚れたキャンバス色になりますが。
また、これは昭和30年代以降の話になりますが、一部ではキャンバスの上から防水塗装をすることもあり、灰色になります。東武は杉戸工場が防水塗装、西新井工場がなしで、なぜ違うのかわかりませんが見分けはつきました。
ああっ!
返信削除さすが高級ジャーナリスト兼低級Nゲージャー高瀬文人!
ありがとうございます!
掲示板管理人にもよろしくお伝えください(糞爆)!
元・いきもの部長さん
返信削除戦後10年を経ても同じデザイン車体を載せるというケースはたしか他にもあったような気がします。
小田急は同系列は同じ車体で揃えたかったのでしょうね。
規格形電車は東急3700も名鉄3800も在来車よりも痛みが早く更新も早めに行われていますので、やはり側面を切った貼ったした電車は再就職できなかったのでしょうね。
ロッキー犬殿
返信削除まずは予備校はいりますか?!
モノレールといえば姫路のやつが個人的には一番好きです。
高瀬文人さん
返信削除コメントありがとうございます。
戦前の国電も一回鋼板屋根になってから資材節約でキャンバス屋根に戻っちゃっていますね。
でも、キャンバス屋根貼るのは熟練した技術とキャンバスをちゃんと張るために何人もの職人を必要としたらしいですね。
キャン犬殿
返信削除掲示板管理人です~。
これで東大逝けますか~?
chitetsuさま
返信削除昭和初期に、日車などメーカーが試験的に屋根まで全鋼製車体を造って数社に納入しましたが、どこも採用しませんでした。高かったからと言われています。
当時はキャンバスを張り替える人件費のほうが圧倒的に安かったんでしょうね。
それに対して昭和36年からの東急の更新は、屋根を含めた全金属化を積極的に進めたのは興味深いですね。
高瀬さん
返信削除戦前はまだ鋼板屋根は贅沢品だったのでしょうね。
キャンバスを貼るのにはずいぶん力が必要だったみたいですね。
職人が引っ張っている間に手際よくキャンバスを止める必要があったとの記述を見たことがあります。