2014年2月5日水曜日

南海電鉄 貴志川線

今や『たま電車』で有名になった貴志川線は、本線が昇圧した時にもその対象からも外され、のんびりと旧型電車が走っていました。
やはり本家筋とは違う買収・不採算路線は結局は継子扱いだったのでしょうね。

先日、水間鉄道に嫁いだ1201形をご紹介(こちら⇒南海の支線のような水間鉄道)しましたが、その時午前中に訪問したのがここ、貴志川線です。
本日は1201形・ご本尊の訪問記録です。

モハ1202 81.9.1 和歌山
モハ1203 81.9.1 和歌山

本線の昇圧時にモハ1201形は多くが廃車、他社に嫁ぎましたが一部車両が600Vのままの貴志川線に移動して永く活躍しました。
京福電車に行った仲間はこちら(⇒京福電鉄 朝の電車)。
1201形は戦前から戦後にかけて製造された南海平坦線の標準電車です。
スタイルは窓の形状(二段上昇・一段下降)、二段窓車では天地寸法の大小、スカートの有無等々、バリエーション豊かな構成でした。

南海電車はやはりこの緑の濃淡がしっくりきます。

クハ21201 81.9.1 和歌山

貴志川線で一両だけ毛色の変わった電車がこのクハ21201型です。
この電車はあの有名なズームカー21001系の姉妹版、21201系の唯一の残存車です。
21201系はズームカー登場前年の1957年(昭和32年)にトンネル火災事故で車体が焼失した1251系の機器を再用して作られた4両編成でしたが、昇圧時には工事が困難と判断され、対象から外されて休車の運命に。
車体は新しいので、活用方法を検討したのでしょうが結局は活用できずに先ずは中間車2両が早期に解体処分となり、先頭車2両が保留となったもののやはり生かしきれずに貴志川線での3両編成運転実施のために1両だけが電装解除されて貴志川線でアンバランスな編成を組んで余生を過ごしました。
相方のモハ21202はこの撮影時点でも休車が続き、結局1983年までは残っていたようです。

モハ1210 81.9.1 伊太祈曽

その後、伊太祈曽の車庫に移動しました。
こちらは片運転台、後ろパンタのモハ1210。


 81.9.1 伊太祈曽
車庫全景です。
和歌山鉄道時代の面影を残した、大手私鉄らしくない車庫風景が展開していました。


6 件のコメント:

  1. 20201が良いな〜!こういうデコボコ編成大好きです。
    一度見たいと思っているうちに消えてしまいました。

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  2. 元・いきもの部長2014年2月6日 2:12

    貴志川線が昇圧の対象から外されたのは、本線と繋がっていなかったことも一因かな?
    私も見損なった異端児クハ21201は、おそらく貴志川線史上唯一のエアサス台車装着車じゃないかな。

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  3. Cedarさん
    20201、異端児でしたね。
    写真では知っていましたが、実際見てみるとやっぱり相当の違和感がありました。

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  4. 元・いきもの部長さん
    貴志川線が昇圧から外されたのは本線と繋がっていない上に不採算路線だったからでしょうね。
    どうせだったら20201は相方のモハとセットで入線したら面白かったのにと思います。

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  5. 貴志川線、野上電鉄が廃止になった日の午前中に訪問したのが最初で最後でした。
    和歌山駅の外れから旧形電車が出発していく景色は、地元大雄山線みたいでした。

    今ではカルダンのラッピング電車が走っていますが
    、客寄せパンダとして加悦鉄道にある1201を動態保存したらとつくづく思ってしまいます。

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  6. 宵闇さん
    貴志川線の貴志と野上電鉄の紀伊野上は意外にも大変近く、タクシーで両者の間を移動してもあまり出費にならない程度でした。
    私は、何回かこのパターンで訪問したことがありました。

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