少年時代から大の電車好きです。 物心ついた時には踏切の横に立って電車を見ていました。 以降、全国各地に吊り掛け電車を追いかけて歩いた記録を中心に、模型やストラクチャー探訪記などを気まぐれに載せてゆきたいと思います。
うー寒そう・・・彼の地の厳しい冬が伝わってきます。小生も同じころ訪ねましたが(モハ31と41でしたTT)、廃止まで1か月を切ってるとは思えないほど、全くフツーに、淡々と動いていました。この頃は俄かテツ軍団も見かけなかったですね。大蒲原周辺は素晴らしいロケーションでした。駅舎の方は80年に無人化されてから荒れ放題のようでしたが、訪ねたときは地元のおばちゃんが石油缶に薪をくべてくれたのを思い出します。
CedarがかのM井と2人でここを訪ねたのは昭和55年5月のことでした。周囲に人家が無いのに、電車が来るとどこからともなく人が集まってくるのが不思議でした。
陣ケ峰冬鳥越busu-junさん重い雪が降り積もる彼の地の冬は厳しいものだと実感しました。3月も終わろうとしている時期でこの雪ですから、1月末の今頃の季節はもっと厳しいのでしょうね。お別れ運転の時も確か雪が積もっていたと思いましたが、そんなに俄鉄で溢れることはなかった気がします。
CedarさんCedarさんも確かこのあたりのお話をブログアップされていましたね。地方にゆくと列車がやって来る時間が近づくとどこからともなくお客さんが集まってくる光景は不思議なものでしたね。
このような寂しい田舎を釣り掛け式の旧形電車がのんびり走るという、ローカル私鉄の原点みたいな風景が日本から無くなってしまったというのがとても寂しく感じられますね。えちぜん鉄道の釣り掛け電車も先日遂に解体されたようです。
宵闇さんおっしゃる通りですね。蒲原の山越え区間なぞ、よくぞあの時代でも残っていたと思える閑散区間でしたが、やはり存続は時代が許さないのでしょうね。えちぜんの電車も解体ですか・・・。
私もこの線を訪ねたことがあります。残念ながら大蒲原の印象がほとんどありません。私は七谷や高松が強く印象に残っています。
つのすけさん七谷、高松は美味しい場所でしたが大蒲原は地味な場所でした。雪の季節は特に…
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うー寒そう・・・彼の地の厳しい冬が伝わってきます。
返信削除小生も同じころ訪ねましたが(モハ31と41でしたTT)、廃止まで1か月を切ってるとは思えないほど、全くフツーに、淡々と動いていました。
この頃は俄かテツ軍団も見かけなかったですね。
大蒲原周辺は素晴らしいロケーションでした。駅舎の方は80年に無人化されてから荒れ放題のようでしたが、訪ねたときは地元のおばちゃんが石油缶に薪をくべてくれたのを思い出します。
CedarがかのM井と2人でここを訪ねたのは昭和55年5月のことでした。
返信削除周囲に人家が無いのに、電車が来るとどこからともなく人が集まってくるのが不思議でした。
陣ケ峰冬鳥越busu-junさん
返信削除重い雪が降り積もる彼の地の冬は厳しいものだと実感しました。
3月も終わろうとしている時期でこの雪ですから、1月末の今頃の季節はもっと厳しいのでしょうね。
お別れ運転の時も確か雪が積もっていたと思いましたが、そんなに俄鉄で溢れることはなかった気がします。
Cedarさん
返信削除Cedarさんも確かこのあたりのお話をブログアップされていましたね。
地方にゆくと列車がやって来る時間が近づくとどこからともなくお客さんが集まってくる光景は不思議なものでしたね。
このような寂しい田舎を釣り掛け式の旧形電車がのんびり走るという、ローカル私鉄の原点みたいな風景が日本から無くなってしまったというのがとても寂しく感じられますね。
返信削除えちぜん鉄道の釣り掛け電車も先日遂に解体されたようです。
宵闇さん
返信削除おっしゃる通りですね。
蒲原の山越え区間なぞ、よくぞあの時代でも残っていたと思える閑散区間でしたが、やはり存続は時代が許さないのでしょうね。
えちぜんの電車も解体ですか・・・。
私もこの線を訪ねたことがあります。残念ながら大蒲原の印象がほとんどありません。
返信削除私は七谷や高松が強く印象に残っています。
つのすけさん
返信削除七谷、高松は美味しい場所でしたが大蒲原は地味な場所でした。
雪の季節は特に…