2013年9月20日金曜日

伊豆箱根鉄道大雄山線 1990年


伊豆箱根鉄道大雄山線、1990年の訪問は小田急SE車重連編成撮影の折(こちら⇒御殿場線をゆく小田急SE車)に立ち寄ったものです。
ということで、本日のお題は『いずっぱこ』です。

モハ165 90.11.9 穴部ー五百羅漢

相鉄からやってきた旧型国電の生き残りの17M車がまだ元気に走っていました。
西武色の国電出身相鉄車・・・です。

クハ187 90.11.9 五百羅漢ー穴部
小田急線との顔合わせ。
小田急カラーを纏うのもこの8000系だけになってしまいました。

クハ187 90.11.9 五百羅漢ー穴部
Sカーブを大雄山に向かうクハ187。
この電車に西武色は似合わないというか気持ち悪い気がしました。
真っ黄っ黄色の相鉄カラーはそんなに嫌ではないのですが。

モハ165 90.11.9 岩原ー相模沼田

沿線の中では少し開けた相模沼田付近で。

モハ161(左)、5504(右) 90.11.9 大雄山
大雄山駅で新旧顔合わせ。

モハ161 90.11.9 大雄山
休憩中の相鉄電車の後ろには本物の旧型国電が・・・。

モハ66 90.11.9 大雄山
モハ66です。
元を正せば少数派の国鉄モハ34、後のクモハ12000の残党です。

モハ66 90.11.9 大雄山
由緒正しき旧型国電の最後の姿、サイドビュー。
国鉄時代の晩年は美濃赤坂支線で活躍、1969年に譲り受けて駿豆線でモハ66として就役後に大雄山線には1977年に転入しています。
大雄山線では両運転台車であったことから旅客運用以外にも工事列車・大場工場への車両輸送時の機関車代用にも使われるなどマルチに運用されました。
本来の台車はDT12ですが、残念ながら他車と共通のTR14Aに履き替えられてしまいました。

モハ66 90.11.9 大雄山
この車両は両側のお面の表情が全く異なります。
写真上の大雄山方のお面は非貫通の三枚窓(Hゴム固定)で運転台も全室式ですが、小田原方のお面は、原型に近い姿を留めていました。
撮影時は既に旅客運用の相手側は全て廃車後で、飽くまで機関車扱いの車両として残っている状態でした。
二年後には形式も『コデ66』に変更、更に1997年には後ろに写っている相鉄からやって来た電車に後進を譲って廃車となっています。


2 件のコメント:

  1. 懐かしい!
    西武線沿線で育った小生からみると、クリームとラズベリーのカラー、個人的には好きです。
    でも、やぼったいというか、田舎くさい色ですよね。。。。。

    返信削除
  2. maru-ha殿
    懐かしいでしょう!
    西武カラーは好きですが、あののっぺらぼうには何か似合わない気がするのです・・・。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。しかし、個人的なブログですので、リプライ及び不適切と判断したコメントの削除は管理人判断で行ないます。