2013年9月11日水曜日

一畑電車の手動扉の電車を追いかけて(1)

一畑電車の手動扉車回顧、二回目です(一回目のカラー版はこちら⇒一畑電車のオリジナル電車回顧)。

一畑電車と言えばRAILWAYSで一躍有名になりました。
恐らく、日本で最後の手動扉の電車が走っていたのがここ一畑電車だと思います。
手動扉の電車はオリジナルのデハ20形と西武鉄道からやってきたクハ100形のコンビが4編成と、あのデハニが2両、総勢10両ありました。

以前にも書きましたが、一畑電車は東京からは飛行機を使うのでなければ、一番行きにくい場所の一つです。
これら手動扉の電車を求めて何回か訪問しましたが、やはりちょっと思い切りが必要な目的地でありました。


クハ103 92.11.11 川跡ー武志


デハ23 92.11.11 川跡ー武志

手動扉電車はこの日は昼間は走っておらず、夕方からの登場でした。
先頭のクハの扉が半開きで走っています。
このおおらかさは現在では許されないでしょうね。


デハ23 92.11.13 武志ー大津町


クハ103 92.11.13 武志ー大津町

情報によると、朝の出雲市行きにはデハニが増結されているとのことで、早起きをしてそれを狙います。
しかし、残念ながらやってきたのは普通の二両編成でした。
乗客減でしょうか?学校が休みの日ではなかったので理由はわかりません。

平田市から布崎の間は今も昔も田圃の中を一直線に走ります。

二枚とも デハ23+クハ102
91.5.5 布崎ー平田市
春の田んぼをゆく手動扉の電車。


デハ23+クハ102 91.5.5 大寺ー美談

新緑が目に眩しい山々を背に走るいかにもな田舎電車。
良いですね、この風景。

クハ102 91.5.5 高ノ宮ー秋鹿町


宍道湖畔を右に左に曲がりながらやって来る魅力的な田舎電車でした。

6 件のコメント:

  1. 夢空間を使った臨時寝台特急で出雲市→大宮を移動したことがあります。
    それは北陸線・上越線を経由し、途中では出雲2号の退避も行うほどの鈍足。

    行きのDC181系快速で延々4時間揺られるのも相当堪えましたが、往時に比べ鉄道の地位が下がっているのも痛感します。

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  2. こんばんわ。

    親類の家が鳥取にあったので、何度か旧型客車
    の普通列車に揺られて、鳥取から松江まで、
    一畑の魅力ある車両に乗りに出掛けたものでした。(客車も一畑電車も、ともに手動扉ですね)

    今から見れば、凄く贅沢な小旅行ですが、いわゆる
    「乗り鉄」でしたので、写真を殆ど残してない
    のが、今となっては心残りです…

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  3. 木次に母方の本家が あったのでよく訪れました、秋鹿町の名前に引かれ途中下車して入場券を購入したら年代物の逸品で料金は額面20円のところに120円のゴム印が押して有りました。当時は女性駅長でそこそこ有名だったような気がします。貫通してない2連で 小さな板張りクロスシートのデハは当時でも珍しかったですね。

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  4. 12号線さん
    出雲市から大宮へ夢空間の旅、楽しそうですね。
    折角の夢のある車両も郊外店舗の見せ物になってしまい残念です。
    それにしても、どの列車で行っても東京からの道程は長かったですね。

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  5. nnishi1968さん
    こんにちは。
    旧型客車で行く一畑電車の旅、良い思い出ですね。
    客車の開き扉、当たり前だったですが今から考えると随分前時代的な列車でありましたね。
    先日台湾で久しぶりに乗って、懐かしかったです。

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  6. 匿名さん
    秋鹿町という駅名はちょっと魅力的な響きの名前ですね。
    私もここの入場券持っていますが、やっぱり運賃改定印があった気がします。
    この夏再訪しましたが、駅舎は改築されて無人駅になっていました。

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