去る4月29日にホビーセンターカトーにて関良太郎さんと表記の座談会を行ないました。
今回の座談会はともに旧型国電に関してかかわって来たテーマについてそれぞれ節目を迎えたタイミングであったことから企画されたものです。
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5月発売の流電2次車編成 |
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3月発売の拙著 |
具体的には、関さんはKATOの設計に携わる一応最終作である飯田線の流電の発売のタイミング、私は旧型国電本が一応コンプリート出来たタイミングであったためです。
おかげさまで、満席で立ち見の方も多くいらっしゃる盛況の中、私からスタート。
私は主に書籍絡みで実車の話をさせていただきました。
司会進行はネコパブリッシングの根本編集長にやってもらいました。
会場には流電の写真などを掲示しました。
今回は結構時間的にタイトで、ご来場の皆さんにもちょっとしんどい思いをさせてしまったなど、反省点もありました。
ネコパブリッシングとKATOさんコラボの本企画はこれが第一回目。この後も他の内容で企画されるとのことです。
なお、夏のJAM最終日にもクリニックの講師指名を受けております。
ここでも、関さんとコラボでの類似内容の講演をする予定です。
今回いらっしゃれなかった方も、ご都合が合えばそこでまたお会いできるかと思います。
5 comments:
初めまして。当日前半のみ参加させて頂いた者です。お二人のお話しは大変良かったです!単なるお話しだけでなく、飯田線の空気や旧国の音や香りの想い出も届けて頂けた気がします。クリエイターさんの凄さですね!本も買わせて頂来ます。次の企画も楽しみにしております。
52~165フリーク さん
お越しいただいたのですね、ありがとうございます。
本当はもっとフリートークにしたかったのですが、マイクの調子が悪くて掛け合いができなかったのが残念でした。
この場を借りて、「写真とイラストで綴る戦前型国電(下)」読ませていただきました。
カラー写真に関連して、今でも謎が多いのが「飯田線快速色」で、「青2号」がどのような青色だったか議論があります。鉄道コレクションで飯田線快速色の流電が発売されたときに、色合いが議論になりましたが、青2号で伝えられるマンセル値をAdobe Illustratorで出力すると確かに鉄道コレクションのような緑みの強い色になりました。ただ、「日光下でどのような色合いになるか」は別問題で、P10上の80系と流電が並んだ写真は過去しばしば出版物に掲載されていますが、RP83-4号の時は青みがあり、「旧型国電50年」では緑みが強くて80系の湘南色と見分けがつかない発色になっていました。今回の掲載では「多少青みがある感じ」という印象です。この色はイラストでの表現が難物で、過去の出版ではかなり明るい青で表現されることが一般的でした(GREENMAXのカタログ、「旧型国電50年」など)。今回の表紙のイラストはかなり暗い青になりましたが、変わらず難物であることがうかがえます。
岡山運転所の車が京阪神緩行線を走っていた記述がありましたが、岡山電車区から京阪神緩行線への車両の借り入れがしばしば行われていたようで、クモハ51028が昭和48年11月に明石電車区へ貸し出されてクモハ73233の次位に連結されている写真が「我が心の飯田線掲示板」で紹介されたことがあります。
次は「買収国電」を構想とのことですが、要望として、「色」関連になりますが、「富山港線の2色塗り」を取り上げていただけないでしょうか。昭和20年代後半から30年代前半にかけての富山港線に在籍した買収国電に固有の色なのですが、昔からどのような色だったのか議論になっています。一応クリーム色と青なので「横須賀色(スカ色)」と表現されることが多く、「私鉄買収国電」でも同様の表現になっています。当時はまだカラー写真が一般的ではなく、これまでに公表された写真は白黒ばかりなのですが、青は横須賀色の青(青15号)よりは明るく感じます。また同時期の気動車の色との関連も考えられたのですが、最近になって「青4号(戦前の2等車の青帯の色)とクリーム色1号」の記述を見つけました(HP「デジタル青信号」など)。青4号は昭和30年代後半の種別幕の文字の色への使用例(確認したところではキハ35系)があるのですが、富山港線2色塗りに関しては原典の確認ができていない状態です。
また、買収国電では昭和34年改番で記述に混乱が見られます。昭和28年改番では社時代の番号順で改番されているのに対して、昭和34年改番では改造履歴を考慮して改造車が繰り上げられたり、最後に回る例が起きています。例としては、阪和社型モタ321,322は、昭和34年12月改番で番号順にクモハ20018, 019になったという説(「私鉄買収国電」、RP00-5増刊号など)と、最後に回ってクモハ20026, 027になったという説(「旧型国電車両台帳」、RP87-12号など)が並立しています。「鉄道史料」22号P39~40に掲載されている改版の原本の「工車第1528号」ではクモハ20026,027と最後に回っている記述になっています。これに対して、元モタ321, 322はクテ705, 706を改造した時の改造側前面が残ったために全面が平面(他車のように軽い後退角が付いていない)のが特徴なのですが、この形態がよくわかる写真がこれまでに公表されたことがありません。また、モタ328~330は車体裾のリベットが1列なのが特徴なのですが、「私鉄買収国電」ではあいにくどちらの説でもリベットが1列になるクモハ20025の写真が掲載されています(P138)。かろうじて手掛かりになりそうな写真は確かRF誌の記事中の「阪和社型さよなら運転」の写真で、先頭が「クモハ20019」で、社番号順ならば元モタ322になろのですが、写真を見る限りでは普通のクモハ20000台でした。また、WEBで「クモハ20027」のキャプションが付いている写真を見たのですが、確かに「平面」的に感じました。今のところこの2枚の写真から、「もとモタ321,322は昭和34年改番で最後に回されてクモハ20026, 027になった」のが有力、と考えています。
原口さん
コメントありがとうございます。
飯田線快速色の色合いの件は、難しいカラーリングと思いました。豊川のカラー写真では湘南色との差があまりなく、これは退色の成果と思いつつも原版を尊重しました。
買収国電についてはおっしゃる富山港線もカラー写真が現時点で見つかっていません。
最後まで探してみたいと思っています。称号改正の件、自分なりに検討して記述したいと思っています。
先日の書き込みで岡山電車区から明石電車区へ貸し出された車は「クモハ51028」ではなく、「クモハ51208」でした。京阪神電化第一陣のモハ43形が曲がりなりにも京阪神線に戻ってきたものとして話題になりました。
模型のほうでは、KATOの飯田線シリーズは旧型国電から165系、119系などにも手を広げており、戦前型についてはバリエーションもいろいろ作って製品の数の倍以上は作ったと思います。飯田線内ではクハユニ56形のバリエーションや、クモハ42形を4両制覇したり、ちょっと時代をずらして昭和46年頃のクモハ53007の雨樋縦管埋め込みの原型やWC付クハ16形も作っています。飯田線以外への展開もいくつか考えたのですが今のところ実現したのは静岡運転所時代のクモハユニ64000とクモハ60069で、連結させるモハ111,110、サロ110,111も作っています。現在材料をそろえて製作待機中なのが阪和線のクモハ60形で、奇数車と偶数車を作れる分の材料をそろえています。McTTMcの編成にするための中間に入れる車の待ちで、サハ78を2両分、TOMIX製品ですが目途がついていて、あとはカプラーをKATOとTOMIXのどちらに揃えるか考え中です。
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