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Thursday, March 16, 2023

和田岬線今昔・後編

和田岬線の103系引退まであと2日。

沿線は大混雑のようですね。

さて、和田岬線今昔、後編は1990年に訪問した客車時代です。

90.8.4 神戸

1990年の訪問は神戸駅前に宿泊、当時は緩行線電車が201系でした。


90.8.4 兵庫

ひと駅、そのスカイブルーの電車に乗って兵庫駅に到着です。
改めて見ると今とはホームの雰囲気が違っています。
和田岬線専用客車は戦中・戦後の混乱期の車両もびっくりのほどんど椅子の無い『箱』のような客車でした。そして、ホームがある片側のみ中央に外吊りの扉が取って付けたようにありました。
実に詰め込み優先・サービスなんて言葉が存在しない車輌でありました。



暑い朝、車内にはほとんど椅子が無いので、発車まで車外で待つお客さんもいます。


和田岬まで乗車して、去年スカイブルーの電車を撮ったのとほぼ同じ場所で撮っています。
客車のドアは開けっ放し、車両から体を出して涼んでいるお客さんの姿が見えます。


短区間のシャトル便なので、両端にDE10形を連結したプッシュプル列車でした。


再び兵庫に戻って入線してくる列車を構内の端から撮っています。


和田岬線の線路脇から本線の貨物列車を撮っています。

おおらかな時代だったのですね。

8 comments:

モハメイドペーパー said...

これは客車時代の末期になりますか。私も1990年代に乗っていますが、車両はキハ35とキクハ35になっていました。

Cedar said...

いつも話してるように私もこの時代に亡妻と乗って、ドン引きされたのでまが、逆に電化後は乗っていません。103系のあとは何が走るんですか?

chitetsu said...

Cedarさん
普通に考えて椅子の無い客車はドン引きしますよね。
私も予備知識あっても、実見すると驚きました。
次は221系の椅子を外したやつ?!
そんなわけはないですね。。。銀色の電車なのでしょうね。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
自分はキハ時代を知りません。

taiitis said...

自分はオハ61系オハ64であれば国鉄時代とJR西日本の時にそれぞれ1回づつ乗車しました。朝と夕方だけの運転なので、新潟発の急行「きたぐに」から乗り継いで間に合うように計画しました。内装こそいすなし車両ですが、混み合う車内は身動きできない程きつかったです。

キハ35に置き換え後も行きました。座席はあるもののドアが片側だけ1つに減らして立席を増やすように工夫してました。(関東鉄道竜ケ崎線の車両に近いです)

レサレサ said...

2枚目から先は本当に1990年の写真なのかと思えるすごい車両ですねぇ・・・

chitetsu said...

taiitis さん
自分も超混雑列車体験しました。近年の103系になった時代はお客さんが減ったのかそこまで混んでいないようです。

chitetsu said...

レサレサさん
JRになってからもこの客車が継承されていること自体がびっくりですね。