Saturday, March 11, 2023

あれから12年ですね。

 本日は東日本大震災から12年です。

早いもので干支ひと廻りしてしまいました。

高速道路が復旧直後に現地に震災復旧工事で出かけました。

その時に見た光景はほんの一部でしたが、この世のものとは思えないものがありました。

これまで画像アップは控えておりましたが、その一部を風化しないようにという気持ちを込めてアップします。コメントは敢えて致しません。







6 comments:

  1. 言葉もありません。

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  2. OER3001さん
    Cedarさん
    コメントありがとうございます。

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  3. 自分もこの少しあと(2011年4月ごろ)に仕事で鹿嶋の海沿いの工場に行った際、そこで例えるなら「巨人の子供が積み木遊びをして途中で急に立ち去った」みたいな光景を目にしました。
    (「積み木」は本当はコンテナなんですけれど、遠目で見るとカラフルな四角い物体が散らばっててこんな感じに見えます。)
    あと、マンホールが地面から突き出ていました。・・・蓋が外れているとかではなく、コンクリートの筒ごと地上に伸びた感じで、原因は聞きませんでしたが、調べた所鹿嶋市は震度6だったらしいので液状化とかで中が空洞の下水道が浮き上がったのではないかと思います。

    話は変わるのですが、2~4枚目にあるオレンジ色の電車は、床下がのっぺりしているところを見ると脱線というより「ダルマ状態の廃車が転がった」ように見えますが、なぜここにこのようなものがあったのでしょうか?

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  4. レサレサさんこんにちは。

    この101系は、仙石線の103系を105系に改造する際、車輌不足を補うため首都圏から転属して一時的に使用された101系の4連のうちのなれの果てであったと記憶します。廃車後どこかの企業がレンタルカラオケルーム→倉庫に使っていたような記憶があるのですが、正しいでしょうか。台車などは無く、設置時から台車・レール無しでした。
    マンホールが突き出てしまうのは、確かに液状化によって起こる現象です。千葉県の被害を画像検索すると、多数そのような状態になっているマンホールを見ることが出来ますね。
    昭和東南海地震(昭和19年)を体験した母が、実に冷静であったのを思い出します。この日は母と買い物に出ていたので、外で遭遇したのですが、「立っていられるのだから、東京直下大地震ではない」と言い切った母には驚かされました。間もなく電話は全て通じなくなり、小田急の快速急行は深夜まで急行線に取り残され、家に戻ってみると、スロッシング現象でメダカの水槽の水があふれていて、部屋のいろいろなものが倒れてさんざんなことになっていましたが。ちょうどその頃、東北や千葉には大津波が押し寄せていたことになります。

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  5. すぎたまさんありがとうございます。

    4ドア・非貫通・オレンジ単色から101か103系を疑いましたが、やはり101系ですか。

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