古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Sunday, January 1, 2023

謹賀新年。

 新年あけましておめでとうございます。




気紛れ更新中の弊ブログですが、今年もよろしくお願いします。

7 comments:

メルクリン 小僧 said...

新年おめでとうございます。昨年末はコメントありがとうございました。今年もご活躍され、ブログの記事を書かれることを楽しみにしています。

赤影 said...

新年あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

原口 悟 said...

今年もよろしくお願いします

写真の車は何だろうと思ったのですが、富士山との位置関係から偶数向きで、しかも奇数向きのジャンパ栓納めがあるので、方向転換車になります。身延線の車かと思ったのですが、低屋根化されていない車なので身延線の車ではなく、飯田線の車で、飯田線内に富士山が見えるところがあっただろうか、と思ったのですが、10年ほど前のこの場で、流電廃止時に西富士宮に飯田線の戦前形が疎開しており、この中にクモハ50002が入っていたことがわかり、写真の車はクモハ50002だとわかりました。

chitetsu said...

メルクリン小僧さん
新年あけましておめでとうございます。
メルクリン小僧さんの趣味が充実されることを祈念いたします。

chitetsu said...

赤影さん
新年あけましておめでとうございます。
トーンダウン気味ブログですが、今年もよろしくお願いします。

chitetsu said...

原口さん
新年あけましておめでとうございます。
クモハ50002はこの時にようやくお顔が拝めた車両です。
会えた時は引退後というのが寂しかったので、せめて富士山とコラボさせました。

原口 悟 said...

クモハ50形は、豊橋機関区では40番台運用で中間に入ることが多かったので、「先頭に立った写真」を撮影するのが非常に難しかったとの話を思い出しました。
確かTMS誌での藤井良成さんの豊橋機関区40番台運用編成の製作記事だったと思うのですが、中間に入るクモハ50形の前頭部のディテールがわかる写真がなかなか見つからず、あっても流電廃車後に伊那松島に転属したクモハ50008ばかりだったこと、クモハ50008も伊那松島に行ってからの変化(運転台窓のHゴム支持化と幌枠の撤去)があって、豊橋機関区時代の形態がなかなかわからなかったことを記述していました。改めて芝生さんの写真を見ても、豊橋機関区時代のクモハ50形の写真は中間に入っているものばかりで、先頭に立っているのは昭和40年代前半以前か、大船工場への廃車回送時のものでした。

先頭に立っている写真の撮影が非常に難しい「双璧」のもう1つは身延線のクモハ43800台、クモハ51850台だと思うのですが、クモハ51850が最後尾になっている写真がRP96-2号の飯田線、身延線特集に掲載されていました(P38)。車内に乗客がいるのが見えるので営業運転中の情況で、クモハ51850台が先頭に立っている非常に珍しい状況ですが、撮影日が「1981年7月30日」となっており、115系への置き換えの進む中での変運用で実現した光景の可能性が高いです。