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2022年12月19日月曜日

おしらせ~川造型電車の下巻ができました。

 お知らせです。

RMライブラリー・川造型電車の下巻ができました。



表紙は既にご案内した通り、阪急600形です。


冒頭は川造型電車のルーツである、阪急600形を取り上げています。


先日お邪魔した正雀工場で保存されている602号の細部写真も掲載しました。
阪急さんのご配慮で屋根廻りも撮影ができました。


次も関西の近鉄(奈良電)です。
同形式は24両の大所帯ですが、川崎造船製ではなく日本車輌製です。
しかしながら、車体はほぼ同一で寸法も車体幅を除いて誤差レベルです。


飯田線のルーツである豊川鉄道系3社が導入した川造型にも力を入れました。
ほぼ同型ながら川崎造船製以外にも日本車輌製と大阪鐵工所製が混在しているのも特徴です。


豊川系電車は買収後比較的早期に整理されて地方私鉄に払い下げられました。
こちらも可能な限り紹介しています。
特に本ページ上の上信電鉄譲渡車は存在期間が2年ちょっとで更新されているので、希少な画像と思います。


長野電鉄に導入された600形4両も上田交通時代も含めて紹介しています。

本日から書店にも並ぶかと思います。



8 件のコメント:

原口 悟 さんのコメント...

お久しぶりです

長く顔を出していませんでしたが、今回の「川造型電車」下巻含め、「日車型電車」及び旧形国電の各シリーズ等、読ませていただいています。

今回の「川造型電車」下巻では、買収国電の一翼を担った豊川社形が入っていることもあり、注目しています。
実は、その中で解説に疑惑のある写真が見つかりました。
P33下段の「田口鉄道モハ37」の写真なのですが、背後の車が「飯田線快速色のクモハ52形とクハ47形」で、クモハ52形は方向から「クモハ52002」です(クハ47形はおそらくクハ47008)。クモハ52002が既に飯田線にいるので、撮影年月日は解説の「1950年5月3日」ではありえません。クモハ52形の転入は、田口鉄道が豊橋鉄道田口線になってからの1957年9月のことで、また、クモハ52002は幕板が既に青色(旧形国電50年(2)P85の表によると、昭和35年(1960年)3月17日付で塗り替え)なのに対し、クハ47形はまだ幕板がオレンジ色なことから、実際の撮影は1960年3月から数か月以内(実際の撮影日は1960年5月3日か?)と考えられます。また、クハ47形の窓下に「3等」の標記が見られないことからも、実際の撮影は昭和34年の改番よりも後になります。このため、田口鉄道が豊橋鉄道田口線になってからの写真になるので、少なくともこの写真に関しては「豊橋鉄道」の標記は正しいことになります。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
ご無沙汰しております。
また、RML各誌ご購読いただき、ありがとうございます。
ご指摘の件、読んでなるほどと思いました。
複数の方の画像が同じぐらいの日付でモハ37に豊橋鉄道と書かれた画像を
撮影したという記録があったので、疑問には思っていました。
もう一度ご本人の記録を確認しますが、日付け記載ミスの可能性濃厚ですね。

原口 悟 さんのコメント...

先日の書き込みで、クモハ52002と連結している車を「クハ47008」と書いていましたが、正しくは「クハ47108」で大変失礼しました。

「川造型電車」に関する余話なのですが、「鉄道コレクション」で取り上げらずに現在に至ってしまった、というのがあります。これはHP「創作鉄道資料館」で、「神奈川電鉄」を展開している広瀬さんが神奈川電鉄の新世代の「神奈川電気鉄道の記憶」の中で触れているのですが、「川造型電車」は、鉄道コレクションが始まった頃、「川造型電車」の登場を期待する人が多かったのではないか、と思われたけれど、その後鉄道コレクションの時代範囲が最近の方に重心が移る傾向の中で、取り上げられないまま今に至ってしまったことに触れられています。これに対して、先のRM Libraryで取り上げられた「日車型電車」の方は17弾で取り上げられ、琴電や上田交通の車が登場しており、川造型電車は事業社限定モデルでも登場していないと思ったので、時期を逃してしまった感を感じます。

RM Modelsの今月発売号の「地鉄電車慕情」も読ませていただきました。この中のP116上の日車型気動車ベースの電車は私も考えていたもので、鉄道コレクションのキハ800形ベースで考えていました。時kは昭和30年代後半なので、設定として、「当時の初期高性能車ベースの機器を採用した、新性能車版」「ユーザーの私鉄手持ちの木造車の機器を流用した機器流用車」の2タイプをカタログで売り込むのではないか、とp考え、どの台車と床下機器を調達するか考えていました。時期的には北陸鉄道の「しらさぎ号」と「くたに」号に似ていて、北陸鉄道では両方を導入した形になりますが、設定によってはどちらか考えどころだと思います。
元宮城のクモハ2320形ですが、上記広瀬さんのHPの記述だったと思いますが、新潟交通長岡線への譲渡の話題があったらしいです。これが実現しなかったのは、長岡線はまだ架線電圧600Vで、昇圧が昭和40年代中頃までずれ込んでおり、電気機器関係の大改造が必至だったためと考えられます。確かに架線電圧を跨いだ車両譲渡はあまり多くなくて、あっても、名鉄から京福福井への譲渡車のような、「自社で車体更新に機器を転用し、車体だけを譲渡して、譲渡先の車輌の機器を転用して電装した」例が多いと思います。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
コメントありがとうございます。
川造型、出ないのが不思議な題材と自分も思っていました。
リベットゴツゴツの車体はプラ成型向きなのですが、仰るようにタイミングを失ったのでしょうか。
宮城の2320形の譲渡話の件、初耳です。
確かに降圧改造は大変なので敬遠されたというのは納得できます。
地方私鉄にも適した車両で、両数もあったので勿体ない気がしていました。

原口 悟 さんのコメント...

上記田口鉄道モハ37の写真の撮影日の手掛かりになりそうな写真が見つかりました。

RP83-8号の飯田線旧型国電特集のP74, 75に1960年代の「飯田線快速色時代」の流電等の写真が紹介されているのですが、P75の下段に1960年5月2日撮影と記載の「第3次快速塗装(予備車)クハ47104他」の写真があるのですが、クハ47104の向こう側の車は明らかにクモハ52002です。クモハ52002の方は幕板が緑色で、クハ47104の方は幕板がオレンジ色なので、モハ37の後ろにいるクモハ52002他の編成と状況が一致します。このため、「クハ47108」と予想した車は、実際は「クハ47104」の可能性が高そうです。
実は先日の書き込みでクモハ52002と編成を組んでいる車が「クハ47108」としたのは、鉄道コレクションの流電飯田線快速色で「クモハ52002-クハ47108」の構成になっているほか、芝生さんが1959年1月に記録している編成が「クモハ52002-クハ47108」なためなのですが、RP83-8号の写真では「クハ47104」の車号が読み取れるので、その後編成が組み替えられたことがわかりました。

山谷 雅史 さんのコメント...

宮下様
いつも素敵な作品と資料価値の高い実車・景観写真を堪能させていただいております。

貴著の「川造型電車」上下巻を購入し、年末年始にじっくり読ませていただきました。
膨大な資料を収集・整理され、読み応えのある二冊にまとめられた熱意とパワーに
敬服いたしました。

下巻の「阪急600形」に関して、気になるところがありましたのでお知らせします。
600形の600号について「1925(大正14)年製の試作車」という説明がありましたが、
本形式についての文献をひもとくと、1926(大正15)年6月21日付で600~609(Mc)、
800~806(Tc)の17両の落成届が同時に出されていて、600号のみ先行したという記述を
見つけることができませんでした。

600形に先立ち、1925(大正14)年11月に510号という「見本全鋼車」が川崎造船所から
阪急に納入され、Tcとして営業運転に供されていますので、こちらがいわゆる試作車に
該当するのではないかと思われます。
510号は艤装前の鋼体写真と、納入1年後に二重衝突事故を起こした現場写真位しか
実車写真が残っていなかったり、設計図書は何故かMcだったりと、謎の多い車両では
ありますが、側窓が二段上昇窓で前面窓が一段高くなっているあたり、のちの旧西武
551形(原形)を彷彿とさせる武骨なデザインが印象的です。

レイルロード刊「阪急600」(2015.2)あたりが参考になると思います。
阪急OBの諸氏が執筆に加わった、信頼性の高い内容と判断しております。

斯界での益々のご活躍を楽しみにしております。

chitetsu さんのコメント...

山谷さん
コメントいただき、ありがとうございます。
また、拙著ご購入いただきありがとうございました。
ご指摘の件、自分が参考にした書物から引用したのですが改めて他の書物を
見るとご指摘の点が間違っていたようです。
ご指摘いただきありがとうございます。

山谷 雅史 さんのコメント...

宮下様
早速のご返信、有難うございます。

小学生だった半世紀前、神戸市東灘区在住で阪急岡本駅が最寄り駅でした。

神戸本線を900・920・800形の7連が豪快に飛ばし、今津線には600形4連や
試作1000系4連が走り、前パン・電制無しの昇圧2000系はレジンシュートの
焦げた匂いをまき散らし、3000系、5000系などの美しいモニタルーフも健在、
東海道緩行線では73系に挟まったクモハ51のボックスシートから、すれ違う
「玄海」「つくし」「しおじ」「うずしお」などの長距離列車群を眺めて
はしゃいでいたのを憶えています。

600形は「重厚さ」が際立ち、やたら乗務員室が狭く、椅子は備わっているの
ですが、詰襟の運転士さんが立ったまま走らせていたのが印象的でした。
当時の阪急電車は、5000系に至るまで助士席側の仕切りにガラスが無く、
運転士さんの手さばきや喚呼を飽かず眺めておりました。

毎年オリジナルの鉄コレをリリースしている阪急さんなので、川造型の
トップバッターとして600形を出してくれないかな・・・と期待しているの
ですが、望み薄のようですね。
思い出話が愚痴話になってしまいました。ご容赦ください。