今も経過発表で話題になっている、西武山口線の『おとぎ電車』、撮っていたかどうかわからなかったのですが、何のことはない・・・このブログにアップしていました。
今回は画像を再スキャンして再構成してみました。
おとぎ列車(電車)と呼ばれていた西武山口線は、新交通システムに転換される前は純然たる鉄道事業の軽便鉄道でした。
そして、その山口線には軽便蒸気機関車が古典的な木造客車を牽引して走っていました。
都会からすぐ行ける現役蒸気機関車が走る路線であったことなんて最近の人には全くピンと来ない話でしょう。
この山口線ですが、おとぎ列車=遊戯施設のイメージが強くて、近くであった割にはあまり訪問することがありませんでした。
84.4.22 |
まずは一回目の訪問です。
こちらがその時に出会った機関車です。
こちらが、そのおとぎ電車と蒸気列車の編成の交換風景です。
この日はおとぎ電車と蒸気列車の2本が運用されていました。れっきとした地方交通線ですので、バテロコの機関士はタブレットを腕に抱えています。
B12牽引列車をパチリ。
きっと花見を兼ねていったのでしょうが、桜はまだちょっと早かったようです。
こちらは貴重な木造客車の蒸気列車です。
うすら寒い週末、汽車が通過します。
当時はバカにしていましたが、これもこれで貴重なものでした。
満開の桜の中を往く軽便列車。
夢のような世界でありました。
527 82.4.6 遊園地前ーユネスコ村 |
眼前をゆっくりと通過してゆきます。
32 82.4.6 遊園地前ーユネスコ村 |
走り去る木造の客車。
今考えると、もっとちゃんと見たり撮ったりすべきでした。
いつまでもあるような気がしているうちに新交通システムに代替、廃線になってしまいました。
10 comments:
気が付けば、相当久しぶりの書き込みになったようです…。
「西武園のお伽列車」に乗ったのは、過去2度。最初は、小学生だったころ。おそらく高田馬場から当時あった直通準急?で「多摩湖」駅で降り、歩いて県境を越えて遊園地へ入った記憶があります(当時はその実感はありませんでしたが)。でも遊園地の記憶は今となってはすっぽり抜け落ちてしまいました…。それなら「お伽列車」で「ユネスコ村」へ。当時は、2番目の写真の左側に写っているように、ミニ機関車(ディーゼルだと思っていたのが蓄電池式だと知ったことと、そしてこの線がれっきとした「地方鉄道・山口線」であったことを知って、大いにびっくりしたものです)が吹きさらしの客車を引っ張るというスタイルで、途中2か所ほど列車交換の信号場があったと記憶しています。ユネスコ村には、世界各国の民家を模した小屋?があり、キャンプ場としての用途もあったようでした。そして「狭山湖」駅から電車に乗り、池袋に出たようでした。
2度目は、「お伽列車が新交通システム建設のため廃線になる」ことを知って、「なくなる前にもう一度乗って行こう」と、西武球場の野球観戦とセットの形で行ったとき。試合はデーゲームで、球場のすぐわきを「お伽列車」が通っており、汽笛が聞こえると、試合そっちのけで列車の写真を撮ったものでした。試合終了後に「ユネスコ村ら無料で入れます」だったかのアナウンスがあり、そのユネスコ村に2度目の入園。既に園内の「小屋」もだいぶくたびれてきていたような雰囲気だった記憶がありました。
お伽列車にも載り、小学生の時とは逆コースで戻りましたが、その時乗った列車がSLだったかどうかももうはっきり覚えていません。「山口線」は、新交通システムになってからは一度も乗ったことはなく、野球場も行ったことはないままです。「お伽列車」のSLは新潟と台湾、木造客車は岡山に、それぞれ里帰りして保存されたようですが、今はどうなっているのでしょうか(特に会社が破産した「井笠」の客車が心配です)? ユネスコ村は、その後「恐竜園」になったようですが、それも長続きせず、今は球場周辺の緑地公園の一部になったのでしょうか?
小学校の最寄り駅が新宿線の都立家政だったので、3年生か4年生の遠足がユネスコ村というのが定番でした。オトギ電車に乗り、ユネスコ村のオランダ風車の前で記念写真を撮っています。
蒸機運転用の客車は台車が平軸だったので、コロ軸の台車に取替えています。私が所沢に住んでいた昭和50年頃、工場の野外資材(廃品)置き場に平軸の台車が積上げられていました。
撮影した時期が廃止直前ですね。
コッペルの蒸気機関車が走っている時期に乗車しなければ意味がないと思い行ったことがあります。
4両編成の客車はロングシートの座席に埋まるほどの盛況で、親子連れがほとんどでした。
ただ、最寄り駅から数百メートル離れているので探すことに苦労したことがあります。
ブレーキが手動で、機関車だけでなく客車にいる車掌さんもブレーキをかけていたことは驚きました。
taiiitisさん
車掌さんもブレーキをかけていたとは知りませんでした。
機関車の性能以上にお客さんが乗っていたということでしょうか。
モハメイドペーパーさん
出力の低い機関車けん引にはコロ軸が有用であったのでしょうね。
台車は井笠から予備台車も買っていたのでしょうね。
伊豆之国さん
コメントありがとうございます。
なつかしい写真をありがとうございます。
小生も「お伽列車」はバカにしていて、見た記憶はあるものの撮った記憶があまりないです。
旧山口線廃止後、どーゆうわけか存じませんが、大井川鉄道崎平駅に蓄電池機関車+客車が留置されてました。(蒸気撮りに崎平にはよく行きましたので記憶してます。保存状態は悪くサビサビでしたから余計にカメラを向けることはありませんでした。)
西武沿線住民ながら記録を留めておらず恥じ入る限りです。
さてさて、当記事冒頭のコメント見て慌ててネット検索したところ、鉄コレ販売予定見てビックリ。
鉄コレはマニアックですが、遊園地の延長みたいな車両に焦点を当てるとは。。
錆びないプラ商品は好きですが、さりながら自宅内の保管スペース確保も難しく、買うべきか?買わざるべきか?しばらく悶々の日々が続きそうです。
maru-haさん
そうなんですよね。
どうしても遊戯施設感が拭えなくて、汽車をふくめても二度しか撮っていないようです。
今考えればもっとちゃんと記録するべきでした。
大井川にあったの、自分もかすかに記憶ありますが、カメラは向けていませんでした。
突然のコメント失礼致します。
懐かしい貴重な写真を拝見させていただきました。
実は縁あってこの度山口線で使用していた31形客車の復元工事に携わることになりました。
なにぶん図面をはじめ当時の資料が全くない状態でして、車体色や当時の姿の参考として貴殿の写真を資料として使わせていただくことは可能でしょうか。
詳細などはコメントではお伝えしにくいのでメールなどでやり取りさせていただけると助かります。
無理なお願いを承知の上コメントさせていただきました。
ご検討のほどよろしくお願い致します。
BNRさま
私の写真が役に立つのであれば、ご利用ください。
ご連絡はここにアドレスを書けませんので、
Twitterのchitetsuアカウントのメッセージでいただければと思います。
Post a Comment