西武鉄道2000系の第一編成である2001編成が、10月3日に遂に横瀬に向けて廃車回送されたそうです。
79.6.28 新井薬師前ー中井 |
1977年の登場ですので、御年44歳の婆さん電車です。
仲間が少しずつ減っていく中、一番古い2001編成は本線系統で最後まで大活躍をしていました。いつかは来ることが分かっていても、ついにその時が来てしまったようです。
上の写真は登場から二年後のまだまだ初々しい頃の2001編成です。
黄色一色の塗装の4扉車、界磁チョッパ制御の採用、さらには湘南顔の伝統を打ち破った黒岩氏デザインの前面形状など西武の電車のこれまでの概念を覆す電車でありました。
こちらはトップナンバー編成の奇数側先頭車のクハ2001です。
登場時は菱形パンタグラフでした。
界磁チョッパ制御器や電動機などは東急8500系と同じものだそうです。あちらの電車も長生きでしたが、既にカウントダウンたけなわです。
M2車のモハ2102です。登場時は側面方向幕もありませんでした。
製造当初はホーム有効長さの関係で6両編成でした。
20.4.3 新井薬師前 |
こちらは近年の姿から、クハ2002です。
背後は地下化工事がたけなわであることが見てとれます。
20.4.23 武蔵関 |
昨年春のクハ2001を武蔵関で。
13 comments:
西武と東急の婆さん電車、2000と8500の機器が同じものとは今まで知りませんでした。
競うように消えていくのは仕方無いですね。
4扉の2000系は新宿線の新宿~田無間で限定使用する特殊な車両という触れ込みでした。同じ機器で3扉とした3000系の方が先に消滅してしまうとは、当時の車両関係者には想像できなかっただろうと思います。
Cedarさん
御大から聞きましたので間違いないと思います。
技術者同士の交流は結構あったようで、いろいろ相談を受けたと仰っていました。
確かに似たような音がしますよね。
モハメイドペーパーさん
本来の目的とは若干異なった用向きとなった部分はあったものの、よく働きました。
いろいろ事情はあったと思いますが3000系が先に無くなるのは想定外であったでしょう。
冷房装置と空気バネは在来車と比べて大幅なサービスアップでしたが、高運転台&貫通扉で前面展望の楽しさが薄れてしまったのは残念でしたね。外観の変化はスカートや側面方向幕の追加が目立つ程度ですが、室内の壁や床は交換されて一新、勤続44年の移り変わりを感じます。各社で大所帯だった昭和末期の通勤電車も、さすがに先が見えてきましたね。
新宿線の顔として、40年以上主力で活躍し続けて来たんですから、本当に長寿ですね。
傾斜角の付いたパノラミックウインドウは、当時の西武にしては意外と凝った造りでした。
8両編成も残り1編成、営業運転として池袋線でお目に掛かることはもう無さそうですね。
機器のメーカーが同じ日立であること、界磁チョッパ装置の機器や制御器の外形が東急8000系列に良く似ていて、そもそも走行音が東急で聞き慣れた音だったので素人的には同じ機器じゃないの?と思っていましたが、やはりそうだったのですか。
先頭部のデザインが、あの黒岩さんの作品だったとは知りませんでした。2000系の登場がちょうど国鉄を退職された時期と重なっているので、フリーに?なって最初に引き受けられたのですかね。
緑の猫さん
新製車が少なかった新宿線専用形式はデビュー当時は特別なものに見えましたね。
前面展望はこの車輌あたりから悪くなってしまいました。
石マロさん
いよいよ8両編成も残り一本ですか。。
新宿線本線系統で見られるのはそう長くなさそうですね。
関西ではまだまだご長寿車輌おおいものの、関東私鉄電車としてはご長寿電車でしたね。
N.Imaizumiさん
以前から私も似たような音がしているとは思っていましたが、TQの技術者の方から聞いてなるほどと思いました。西武とTQは観光地陣取り合戦などで一見犬猿の仲に見えましたが、技術者レベルではかなり親しく交流していたようです。
2007Fだったか、幕車がいたと思われますがそれが最後の残存8連でしょうか?
2コテはしばらく残りそうですが、グロベン装備車輌の見納めもそう遠くはないと思われます。
12号線さん
残り一本がどの編成化私はわからないのですが、2007編成は確かに最近も見た気がします。
2コテも今回1編成落ちましたので、活躍できる期間はそれほど長くないかもしれませんね。
おと、全く同じですね
M車数が違うので、加速度音は
全然違いますけど(^_^;)
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