古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2021年10月29日金曜日

東八幡平の廃車体について

前回の記事で東八幡平の客車の画像を掲載しましたが、その時にもうちょっと客車を撮っていましたので、こちらに集めてみました。

撮影したのは1987年の5月4日。そんなに前な気がしていなかったのですが、もう34年も前の記録です。



東八幡平の開けた場所には松尾鉱業鉄道の客車と貨車が倉庫代わりで置かれている、と何かの書物で書かれているのを見て出かけてみました。
その記事が書かれてからもそれなりに時間が経ていますし、1972年の廃止からもそれなりに年月を経ていましたので半信半疑での訪問でした。

いざ行ってみると、その書物と同じ車両達がちゃんと残って居ました。
客車のカラーリングは窓廻りはクリーム色ながら、上下はブルー系とレッド系の二種がありました。



こちらはオリジナル性の高い客車・オハフ9です。
出自はウイキペディアによると、このようになります。
『戦災により1946年(昭和21年)に廃車された国鉄スニ3018(1927年〈昭和2年〉日本車輌製)を譲り受けたもの。荷物車を客車に改造したもので、台枠を延長して車体長さを20 mとし、二重屋根・折妻から円屋根・切妻の形態となり、原型をとどめない。』




こちらはオハフ10と思われます。
国鉄オハ35系のデザインの流れの客車で、戦災で廃車された国鉄スロハ321を譲り受けたものとされます。松尾鉱山関係の重役などが乗車する特別室が設けられており、上の写真の荷物扉の様なものがその特別室出入口部分かと思われます。



こちらはスハフ7です。
事故で1948年に廃車された国鉄スハ32671を譲受して改造・就役した客車で、スハ32系客車の私鉄への譲渡はこの1輌のみだそうす。

貨車も何両か残っていました。

広々とした敷地、現在はこの東八幡平駅の敷地は東八幡平ビジターセンターになっています。

2 件のコメント:

tobo さんのコメント...

松尾鉱業の現況、廃車体の画像、興味深く拝見しました。思えば1960年代後半から70年代前半は石炭から石油へのエネルギー転換で北海道の炭鉱鉄道や沼尻鉄道のような硫黄輸送鉄道が次々と廃線になりました。以前、松尾鉱業が盛業だった時代の映像を見ましたが娯楽施設もあり理想郷のようようだったようですね。それが数年で廃墟になるとは・・当時の産業構造の変化はすさまじいものがありました。近年の脱炭素化で鉄道がまた見直される日が来るといいですね。

chitetsu さんのコメント...

t o b oさん
1970年ごろはエネルギー転換に伴なって様々なことが発生しましたね。
資源が枯渇していなくても、このようなことが急速に起こるものなのですね。
当時は子供で、TVで見るだけの世界でしたが、当事者は大変であったと思います。