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Saturday, September 11, 2021

2021年のとでん

とでん、こと土佐電気鉄道は魅力的なトラムです。

何が魅力的かというとそのインタアーバン的な路線が今も全線維持されており、両端区間は昭和な香り満載な鉄道風景が今なお展開していること、そしてそこに懐かしい電車が走っていることです。

とさでん交通になって塗装の変更も進んでいるので、今年様子を見に出かけてきました。

21.4.27 後免町

高知竜馬空港からとでん後免町駅は距離的には近いのですが、公共交通機関では行けないというのも残念。空港バスはみんな御免の町はスルーして高知市内に直通してしまいます。さらに路線バスさえもほぼ皆無状態。
仕方ないので、タクシーで後免町に向かうのにも慣れてきました。
到着した後免町駅には駅舎は無く、コンビニが駅舎代わりに。
そのためか、コンビニが電車テイストになっています。


後免町界隈も魅力的ですが、今回はそこはパスして早速電車で移動します。

小篭通ー長崎

向かった先は後免町の家並が切れて田んぼが広がる場所です。
複線の路面電車と広々とした田んぼの組み合わせは全国探しても意外と無いのではないかと思います。


長崎

とでんの魅力はこの軌道敷にもあります。
一応道路とは別れた専用軌道ではあるものの、その境い目は実にファジー。

長崎ー明見橋

道路とだけでなく、民有地との境目もファジー。



この雰囲気、堪りません!


そんな昭和な軌道の向こうから昭和な電車がやって来ました。


これも、堪りません!
新塗装なのが残念ですが、一時間待って旧塗装は来ませんでしたので、これで良しとします。
本当はここで200形を撮りたかったのですが、どんな運用になっているのかわからないのでやむをえません。

明見橋


皮肉なことに、場所を変えた途端に旧塗装の電車がやって来ました。
まあ、こんなもんですね~。



とでんのこの区間は後免町方向に向かう線路にはホームがありません。
道路にただ安全地帯だよ、という線が書かれているだけで、とても安全に電車を待てない状況なのは昔から変わりません。
電車を降りたお客さんは車と電車に気を付けないと怖い目に遭います。

グランド通

本当はこの電車を最初の場所付近で撮りたかったですが一向にやって来ず、諦めて市内に向かったころごめんゆきでやって来ました。

タイミングが合わず、残念でした。

これはまたリベンジせねば。

9 comments:

Cedar said...

とでん、のアノ風景。やはり魅力的ですね。後免東町のタクシー会社が無くなったという気になる情報はあるものの、途中の風景はかわっていないようですから、ほにゃらら宣言など無視していっちゃおうかなと思います。

chitetsu said...

Cedarさん
とでんは今一番好きな路面電車です。
古い電車が元気になるこれからが訪問には良いシーズンですね!

モハメイドペーパー said...

鏡川橋~伊野間は単線なので、もっとローカルな雰囲気になりますね。200形には路面電車では珍しいOK台車付きがまだ残っているはずです。

三等急電 said...

懐かしい思い出といえば、社会人に成り立ての頃に高知出身の先輩が「東京にも『とでん』があって驚いた」と言っていたことでした。

名鉄美濃町線が姿を消してしまい、田舎路面電車はここくらいになりました。

三等急電 said...
This comment has been removed by the author.
伊豆之国 said...

同じように路面にただ白線を引いただけの、車に対して無防備な「なんちゃって安全地帯」でも、岐阜は無残な最期を遂げた一方、土電では今も健在なのは、偏に行政の対応に天と地ほどの大差があったからなのでしょうね。
道路の片側に寄った、路面なのか専用軌道なのかはっきりしない複線のレール、「玉電」の桜新町・瀬田界隈の、まだ宅地化が進んでなく、のどかな田園地帯だったころの光景も、似たような感じだったのでしょうか。
「土電」名物?の、ひらがなで「ごめん」「いの」と大書した前面の菱形の表示板、今も健在だったのですね…。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
伊野側単線区間はまた別の雰囲気がありますが、個人的には後免側の方が好きです。

chitetsu said...

三等急電さん
当地のひとからするとそうなりますね。
とさでんの昭和風味は美濃町線亡き後、今や唯一の存在になりましたね。

chitetsu said...

伊豆の国さん
義父は可哀相でした。
その悔し話は鉄道ピクトリアル誌にも現場の方が書かれていました。
とさでんがこれからも頑張ってくれることを期待したいです。