東急池上線は街と電車の距離が近い路線だと思います。
そのためか、以前から他の線区では殆ど撮らないような隙間系カットがちらほらあります。先日予備のHDDを見ていたら、スキャン画像をまとめたままファイルごとどこかに行ってしまった~(PC内の迷子は手に負えません)と思っていたスキャンファイルが発見されましたので、そこから今回は池上線隙間電車をどうぞ。
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池上 |
今は立派なビルになったらしい池上駅。構内踏切があった時代の池上駅前の踏切です。新しくなった池上駅、行ってみたいような行って見たくないような気持ちです。
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旗の台 |
夕陽を浴びて蒲田を目指す電車。
大井町線の下りホームから池上線電車を見ることができました。
今や退避設備のある立派なホームに進化しましたね。
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久が原 |
秋の午後、静かな住宅街を緑の電車が往きます。この付近は閑静な住宅街が続いて、お散歩に最適です。
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石川台 |
そして、大好きな石川台駅の登場です。
古い車と、駅、そして坂道。
なんか落ち着きます。
夕暮れの買い物客がちらほらみられる商店街の奥では緑の電車がいつものように通り過ぎてゆきます。なんだかじ~んとする光景です。
駅前の踏切で電車の通過を待つ人々。
手前の子、良く見るとかなり大きいですね。もう後ろに乗る歳ではなさそうに見えます。
なんだか理由は自分でもわかりませんが、私が撮った過去の隙間写真は縦位置構図が多いですね。
ある編集者によるとブログだとあまり気にならないけど、縦位置画像を続けるレイアウトというのは編集的にはあり得ないらしい(!)ですが、まあ~、プライベートブログなので良しとしましょう。
以上、池上線昔写真でした。
8 comments:
むかしの私鉄って、みんなこんな感じだったのに、立体化や線増でどんどん街から遠ざかってしまいました。池上線は都心乗り入れも急行運転も無いので、街と電車のいい感じの距離感が保たれてる気がします。
Cedarさん
最近は電車が遠くなりましたね。高架化や地下化で近くにいるのに電車が見えないなんて、ほんとうに寂しいものです。
いつも楽しく拝見しています。
日頃、当方地元の路線を贔屓に取り上げていただきありがとうございます。
(別に、T社に義理は有りませんが。)
1枚目の写真、写っているのが3454(川車形で予備パンタ台残存)なので、
駅の上り側に踏切が隣接している場所であることがわかります。
雰囲気的には御嶽山なのではと思うのですが、今は銀行の看板の建物が無く
少々自信がありません。
池上は駅舎前にバスのロータリーが隣接していて、駅から見ると
踏切はその向こうに離れています。
石川台の坂、随分と懐かしい感じです。昭和40年代後半から50年代の前半でしょうか。
だとしても、写真の車は当時としてもかなり古いですね。
中学時代、この坂道を上り下りして通学していました。学校の指導は中原街道を通る
様にとのことだったのですが、何で好き好んで車の排ガスを吸いながら通学しなければ
ならないのだという理屈を付けて、同じく電車好きの友人と緑の電車を見ながら
こちら側を使っていました。
50年代後半に(だったと思います)古レールを支柱にした柵がガードレールの線路側にでき、
ガードレール本体も白い鉄板から二本の平行丸棒のものに交換され、少し雰囲気が変わりました。
N.Iwaizumi さん
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
1枚目の写真、池上と思い込んでいましたがおっしゃるように場所が違うようですね。今となってはどこか正直思い出せませんが汗。
石川台の坂は車が古いだけで、1980年ぐらいの撮影です。
それだけ雰囲気があまり変わっていないということでしょうか。
この坂もだんだん風情がなくなりつつありますね。
自信が無いままコメントしたのが気になり、運動不足解消の散歩コースを普段と変えて現地に行ってきました。
1枚目の写真、御嶽山駅上り側に隣接した「雪が谷大塚5号踏切」で間違い有りません。
写真中央に見える白い建物が、ほぼそのまま有りました。今は手前に新しく建物が出来ているので少し確認しにくいですが。
また「銀行の看板」の建物は、「銀行」の文字が無くなっただけで同じ建屋でした。
どこの銀行だったか判りませんが、この30年の間に銀行業界もいろいろ有ったのでその関連で撤退したものと思います。
この記事拝読して、北川俊一さんの「池上線 目蒲線」思い出しました。私が鉄道趣味から離れていた時でしたが、倅が図書館で借りてきて素晴らしく思いました。調べたところこのブログのアーカイブに行きつきお亡くなりになった事を知りました、ステンレス電車編も期待してたので残念でした。
N.Iwaizumi さん
現地踏査までされたのですね!
ありがとうございます。
銀行というのは以前はランドマークでしたが、最近はすぐに無くなってしまいますね~。
チャッピーさん
北川俊一さんは、非常に几帳面に記録される方でしたね。
私が3450形の本をまとめるときにその記録の一部を拝借・掲載しました。
本当は会ってお話したかったのですが、その時すでに体調を崩されていてメールのやり取りだけでした。
本が完成する前にご逝去されました。
ご本人に見ていただきたかったです。。。
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