先日こちらに掲載して、どこの鉄道の機関車かお尋ねをした写真ですが、複数の方からコメントを頂いて、仙台鉄道の機関車であることが判明いたしました。
一番びっくりしたのは、お友達があの宮田名誉編集長に画像を送って問い合わせされたことでした。
以下その内容を抜粋して掲載いたします。
本日の宮下さんのブログ「つり掛け電車を求めて」で紹介された写真を宮田名誉編集長へ送りました。その返事が下記です。やはり仙台鉄道のようです。またうら焼きのようです。
> Mさん ドッキリするコッペル機の画像をありがとうございます!
> これは、あくまで直感ですが、仙台鉄道ではないでしょうか。裏焼画像ですので、反転した上でじっくり精査したいものです。取り急ぎ、ご報告いたします。 宮田 拝
そして更に!
写るコッペル機から判断して、仙台鉄道で違いないと確信します。コッペル機キャブ窓の、「半分閉じかかったような目」を思わせる改造も、仙台鉄道で戦前すでにコッペル機に見られました。したがって、本機はコッペル製のB形タンク機ということですが、煙室扉の「1」は機関車番号なのかどうか、確定できません。仙台ではローマ数字で番号を表記していたことが伝えられていますので、その時代の形骸かとも思うのです。取り急ぎ、本日はこんなところで失礼いたします。
宮田 拝
更にさらに!宮田さんから更なる追加情報です。
このコッペルは1924年製の7トンB形タンク機で1,2号、戦後はB71、B72号とされた2両のうちの1両と推定します。
宮田 拝
ここで疑問なのは撮影は戦後のはずということです。戦後も改番しないで1号だったのでしょうか。そこは謎のままです。
6 comments:
最後の写真は場所特定が楽ですねw(駅名標に「たがまや YAMAGATA」ってあるし)
ところでこの兵隊さんの頭付近にある客車は木造客車かな?(トラスロッドが見える)、左に見えるのはワキ1でしょうか?。
レサレサさん
最後んp画像はわかりやすいかと思います。
当時日本語通じない兵士さんが全国各地を回ったことがすごいことですね。
なんだか、ここまで鮮明な画像となると、今も存命でいらっしゃたり、SNSで呼びかけると子どもさんが名乗り出たりしそうですね。
せっかくだから、撮影者とともに、写っている人が誰なのかわかりたいですよね。
すぎたまさん
そうなんですね。
おそらくご存命ではなさそうな気はするのですが、どのような方か知りたいですね。
きっとヒギンスさんみたいな方だったのでしょう。
とても貴重なお写真を見せて頂き有難う御座います。
仙台鉄道の写真、撮影場所はどこでしょうね。
先に線路が無い様に見えますので、北仙台か西古川でしょうか。
この兵隊さんは、仙山線か陸羽線に乗って(あるいは帰り?)で進駐軍の神町(山形)か仙台から出かけたのでしょうね。
山形駅の木造客車ですが、左は台枠の形状から大型客車への過渡期である幅広の台枠を持ったナハ12500の水雷型ベンチレータのついた前期型、右は鉄道院基本形客車のホハ12000かナハフ14100かと思われます。こちらは台車が車端にある様にも見えますから、初期のタイプかも知れません。しかし2両ともきちんと整備され、程度が良さそうに見えます。写真の数年後には60系客車に生まれ変わってますね。
うずらあんこさん
場所がどこなのかも気になるところですね。
お仕事帰りか行きがけの駄賃だったかもしれませんね。
山形で映った木造客車からも時代は特定されてきそうですね。
ありがとうございました。
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