古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Saturday, January 30, 2021

新春の亀戸へ。

 正月気分も終わろうとしていた7日に、ちょっと所用があって亀戸に行ってきました。



こちらは、会社行く途中の老舗蕎麦屋さんの松飾り。
美しいですね。
毎年これを見ると心が穏やかになります。
松の内はやはりのんびり気分で行きたいと思ってしまいます。



さて、亀戸の話題です。
亀戸に行く機会は少ないので、以前からネットなどで見かけて気になっていた亀戸勝運商店街に行ってみました。



ネット上では、昔ながらの看板建築を活かして商店街を再生して成功した事例と書かれており、どのような場所かと期待して行ってみましたが、これはちょっと残念。。。
建物もなんちゃって改装なうえに、たった数軒しか肝心の看板建築も無く肩透かし。
ネットの情報なんてあてになりませんね。
2分でスルーしてしまいました。



折角なので、自粛していた初詣でをしました。
空っ風の吹く平日の午後なので、参拝客もまばらどころか居ません。

21.1.7 亀戸水神ー東あずま


さらに折角なので、、、亀戸線にもお機嫌伺いします。
水門と隣り合わせた踏切。
なんちゃって看板建築よりもこっちのほうがよっぽど萌えます。
そういえば、亀戸線沿線はゼロメートル地帯でしたね。



お電車はおなじみ、8000系。
本線系統では末端部に追いやられていますが、23区内でも見れるというのもなんだか皮肉です。



工場地帯を縫いながら走る亀戸線は下町情緒がいっぱい。



亀戸水神駅前の工場。
こちらの事務所棟はなかなかの年季ものです。

21.1.7 亀戸水神

駅で電車ウオッチングもしました。

2両編成の電車がのんびりと行き交う亀戸線はちょっとした穴場ですね。



私鉄の103系といわれた8000系も残すところ200両程度まで数を減らしているそうです。そんな中、ミンデンドイツの古い台車履いたタイプもまだ走っているのですね。



良く晴れた午後でしたが、風の冷たい日でしたので運用についている二本を見たところで退散します。


21.1.7 亀戸

上を走る電車もいよいよ置き換え開始。

下の電車もかなり年季入って来ていますので、そんなにいつまでも走っていないかもしれませんね。

Thursday, January 28, 2021

花輪線の国鉄色気動車を追って その2

花輪線の国鉄色気動車、二回目です。

02.5.17 田山ー兄畑

花輪線は様々なロケーションが存在して、撮り飽きない線区です。
松尾八幡平から峠を越えて八幡平(まぎらわしいですが、こちらは鹿角市)間はまさに山岳線区です。



02.5.17 湯瀬温泉ー兄畑

道路が並行しているので、有難いことに何回でも追いかけ撮影ができます。
当時、ご同業もいらっしゃらないので、撮り放題でした。

02.5.17 東大館ー扇田

そして花輪線の国鉄色気動車撮影の締めはこの列車でした。
これまでの追いかけでも実現しなかったキハ52形を挟んだ国鉄色だけの4両編成が実現しました。米代川を渡る国鉄色の4連はまさに国鉄時代を彷彿とさせるものでした。

私はこの年の5月末で東京に戻りましたので、これは最後のチャンスでした。そして、このショットが花輪線とのお付き合いの最終ショットとなりました。

次回はまた別の視点から続編をアップします。


Tuesday, January 26, 2021

花輪線の国鉄色気動車を追って その1

青森在住当時に月に一度は盛岡に出張がありました。
盛岡に出張するのは金曜日。会議後は必ず宿泊して同僚と飲み会をするのが恒例でした。
明けて翌日は自由時間です。
帰り道はさまざまなルートで写真を撮りながら帰るのが楽しみでした。
その中でも一番多く立ち寄ったのは花輪線でした。
当時の花輪線は勾配区間対応でキハ58とキハ52の100番台が運用されておりました。
塗装は白ベースの赤帯の所謂盛岡色でしたが、2001年から忽然と国鉄色が復刻、キハ58形は6輌、キハ52形は2輌が塗り戻されました。
編成組成はその時々で変わり、盛岡色との混色編成が一般的でした。
キハ58形は輌数が多いので国鉄色同士のきれいな編成は割と見かけたのですが、キハ52形は大抵盛岡色のキハ58形と編成を組んでおり、往年の急行色+一般色の2両編成はなかなか出会えませんでした。
2002年になり東京に戻ることが決まるまでその機会は現れませんでした。
もちろん、それまでに何回か編成は組まれていたのですが、都合が合いませんでした。
そんな中、何とかなりそうな日に編成が組まれましたので、これが最後のチャンスと思い、何をおいても追いかけた日の記録をご覧ください。
なお、写真の順番は追いかけ順ではございません。

02.5.17 八幡平ー陸中大里

充当列車の運用は公開されていましたので、あとはどこで待つかだけです。
そして念願のキハ52と58国鉄色の列車がやってきました。
今となってはいすみ鉄道で見られる光景ですが、当時はよもやこのようなカラーリングが再現されるとは思わず、大興奮でありました。

02.5.17 沢尻ー十二所

こちらは十二所付近のお気に入り俯瞰ポイントを行く大館ゆき列車。


02.5.17 柴平

盛岡配置のキハ58形は一般車が18輌でしたが、大半が寒冷地仕様冷房準備車の1500番台で、平窓車はこのキハ58739のみで貴重でした。
この車輌が充当されたときは良く追いかけまわしました。
この日もやってきてくれました。
これが最後の出会いと思ってパチリ。

02.5,17 末広ー沢尻

こちらは異色の存在の秋田車の列車です。
これは鹿角地区と県都・秋田を結ぶための列車で、以前は急行列車でしたがこの当時は快速列車となっていました。
リクライニングシート装備の快適な車輌で、鹿角花輪に滞泊して朝秋田を目指します。そして夕方秋田から鹿角花輪にやって来るという一往復の運用でした。
鹿角地方は秋田県ながら、県庁所在地の秋田遠く、地元の方は盛岡を見て生活をしていると地元の方からきいたことがありますが、この快速列車の所要時間を見ると納得がゆきます。

02.5.17 末広ー沢尻

新緑の山をバックに走る国鉄色はやはり魅力的です。


02.5.17 末広

末広駅を発車したキハ52形。
窓が一段上昇窓化されているのが玉に瑕ですが、そんなことはどうでも良い魅力がありました。

02.5.17 十和田南ー末広

こちらは、国鉄急行色の2連・大館ゆき。
この2両が今回のカギになる運用でした。

続きます。

Sunday, January 24, 2021

メトロ7000系を撮る。

 東京メトロ7000系も遂に新車が運用開始でカウントダウンが始まりました。


20.12.23 自由が丘ー都立大学



自由が丘を出て坂を駆け上って来たメトロ7000系。
遂に新車も運用に就きだしましたので、最後の数本とかになってから慌てて写真撮ったりしないように、近年乗り入れ線区各線区で時間見つけて撮っています。



やたらいっぱい警報信号機がついています。
東急はかなり遅くまで電子音化が進まずに、本当に鐘を叩くタイプが多かったのが印象的です。このあたりも社風なのでしょう。




都区内で東横線の踏切というのは意外と少なく、この駅間に4か所存在する程度です。


周辺は閑静な住宅地で、電車待っている間も平和な気分になります。



東横線は全線にわたって意外と起伏のある地形の中を走っています。
都立大学から自由が丘に向かっても下り込むような線形になっており、都内区間ではこのような画角の写真が撮れる貴重な場所です。



ワイパーの拭き痕が面白い表情を作っていますね。
7000系は副都心線開業時から東横線を走るようになったわけですが、東横線利用者からは随分と評判が良くないようですね。
薄汚い古い電車が増えたと、電車に興味ない知り合い数人から聞いたことがあります。
窓が小さかったりするのも印象を悪くしたのでしょうか。



こちらは緑の越後屋号。



線路わきで電車を眺める親子。
高架化や柵の高層化(?)でこのような光景もだんだんとみられなくなりました。


一時間ほどの楽しいカメラハイクでした。


Friday, January 22, 2021

川越の丸ノ内線。

 営団丸ノ内線の赤い電車は引退後各地で保存されました。

その一つに川越市内で保存された444号車があります。

14.10.13 川越

いずれ行こうかと思いながらなかなか行かずじまいでいましたが、2014年埼玉でのイベント帰りに立ち寄りました。

場所については保存車サイトでは個人所有ということではっきりと書かれていませんでしたが、大体の場所はわかりましたので、さほど迷わずに行けました。



実車は晩年は中間封じ込めで、顔を拝むことは無かったので新鮮です。


自分が現役時代唯一お顔を拝めたのは中野車庫でのこの1輌だけ。
貫通扉は撤去されていたので、番号もわかりません。
300形にせよ400形にせよ、撤去した扉はどうしていたのでしょうか?
捨てちゃったのか?
でも、譲渡されたこの400形には扉がついているのでやはり保管していたのでしょうか。




随分と色あせていた時期もあったようですが、この時は塗りなおされていました。



前面です。
貫通扉は外されていたこともあってか、車番はありませんでした。


こちら側から見ると、車番は444と読めます。



初期新性能車らしい台車を履いていました。

残念ながら床下機器は全て撤去されての譲渡だったようです。


先日続報が入りました。

昨年末にどうも解体されてしまったようです。

個人所有で維持するのは大変であったのでしょうね。

Wednesday, January 20, 2021

クリスマスのChitetsu

時間の流れは速いものです。

年末年始はあっという間に過ぎ去り、既に1月も後半になってしまいました。最近はFBにアップして満足してブログにアップするのが遅れて劣化版となるのが常態化しつつあります。

SNSとブログの共存は頭を悩ますところで、最近どうも記事を書くのがめんどうになってきております。今回はそのような劣化版の話題です。

20.12.24 蒲田

クリスマスイブの日、通常業務を早めに終わらせて京浜東北線で蒲田へ。
このお電車も先が長くないらしいので、パチリ。



TQ線では緑の電車がお出迎え。
でも、こちらの電車には乗りません。

20.12.24 武蔵新田

左手の多摩川線でこちらへ。
『むさししんでん』とは読まないところに、この場所の歴史を感じます。



目的地は週一回だけしか開かないこちら。
年内最後のご挨拶です。



店主が引っ張り出してきた箱には怪しいものがいっぱい。
自分にとってはクリスマスプレゼントです。
いくつかセレクトして引き取ることに。


破格の価格で売られていたOスケールのトラム。
こちらは私の手元より幸せになりそうな、同行のCedarさんが引き取りました。



というわけで、年末あいさつを終えてお店を辞します。

20.12.24 多摩川

向かった先は多摩川です。
ここはいつも通過か乗り換えの駅で、この駅で降りるのは3450形が現役の時以来です。



暮れなずむ多摩川の景色を見ながらお店に入ります。


乾杯イエイ。



ほかにお客さんのいないお洒落なお店で暗くなるまで暫し歓談後、帰宅の途に着きました。