GO TO北陸、二回目です。
久しぶりに再会した加賀一の宮駅。
昔と変わりない駅舎を見ていて、40年前この駅を降りたことを思い出しました。
帰宅後に当時のネガをスキャンしましたのでまとめてみました。
20.9.16 加賀一の宮 |
白山下までの区間が廃止されてからもここが終着駅で頑張っていましたが、それも廃止となり、今は駅の跡が整備されています。
89.5.14 加賀一の宮 |
こちらは部分廃止後の加賀一の宮駅です。
80.3.9 加賀一の宮 |
こちらは40年前に初めて訪れたときの加賀一の宮駅です。
20.9.16 加賀一の宮 |
こちらはほぼ同じ位置から撮った今の様子です。
この時には加賀一の宮駅で下車後、旅館が営むユースホステルに泊まったので、そこに行ってみようかと思いましたが、どこであったのかまったく記憶が蘇りませんでした。
旅館がやっているYHは設備が比較的よくて放置状態なので、お買い得なケースが多く、ここも当日は宿泊者が私だけだったので、格安料金で旅館に泊まった感じでした。
YHのスタンプ見たら、二泊していたのですね。
全く忘れていました。
鶴来から歩いてYHを目指していました。
これは加賀一の宮ゆき電車の後追いですが、車掌さんが走行中にサボを挿し換えていてびっくりしたのを覚えています。
10 comments:
鯨川君のモケーみたいな(比喩が逆)北鉄旧形車はいいですね、ラストカットのは名鉄から来た北鉄きっての大形車ですね。
Cedarさん
北陸鉄道は鯨川地鉄みたい。。。ああ、逆ですね(笑)。
名鉄電車もすっかり北陸カラーに染まっていて違和感なかったですね。
いつも拝見しています
この度はようこそ北陸鉄道石川線にお越しくださいました。
40年前の懐かしい光景思い出されましたでしょうか。
石川線の車両はもう随分ガタがきています。
LRT構想もあるのですがなかなか話が前に進みません。
加賀一の宮駅の整備もほぼ終了したのですが、地元の者としては一抹の寂しさを感じます。
浅野川線の方は、昨年東京メトロの03系を2両2編成を導入したのですが、
やっと試運転の成果が現れ始め、松任工場に残っていた残りの2両を現在整備中です。
今後とも吊り掛け電車を求めて、楽しみにしております。
きっと北陸鉄道の車掌さんは
せっかちなんでしょうね(笑)
80年3月10日という日付が感慨深いです。
私は大学受験が終わり、新潟交通、蒲原鉄道を撮影に行った頃です。
石鉄さん
加賀一の宮駅は学生時代の記憶が蘇って懐かしかったです。
浅野川線は03一本車庫に居るの見たのですが、2本入っているのですね。
にぶろくさん
私もこの時は大学受験終わっての旅行でした。
私は北陸の私鉄巡りに行きました。
終着駅到着前の行き先表示の取替は各地のローカル鉄道でよく見たことがあります。
どんな理由なのかは知りませんが、後で写真を見ると「あれっ反対方向に走っているのではないか」と思ったものです。
金沢市内線でも金沢駅前に向かっている一方通行の単線ループ線ですでに小立野行の方向幕が出ていたりしました。
終点に到着後ゆっくりとやればいいのにと思いますが、何か理由があるのではないでしょうか。
走行中のサボ換え懐かしく拝見しました。
新京成でも昭和40年代に終着駅到着前走行中の行先サボ変更はよく見ました。
鎌ヶ谷大仏行が二和向台駅を出ると車掌が貫通ドアを開けてパタパタの行先を替えていました。
さすがに正面の運転手が替えたのは見た記憶がありません。
結構な頻度で見た記憶があるのですが残念ながら写真の記録はありません。
記録があるのはさすがです。
鎌ヶ谷大仏での折り返し時間も十分にあったので新京成の場合は単なるせっかちだと思っていました。
石鉄さん
きっと役割分担あって到着前にしたいというのもあるでしょう。以前の西武線でも終着駅一つ手前で方向幕回していました。これはターミナルで待っているお客さんへのサービスと思っていました。
72901さん
各地で結構終着駅手前でのサボ入れ替えは行われていたのですね。
今だと組合が文句言ってやりたくてもやれないでしょうし、LED化でスイッチ一発ですよね。
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