モハ72518 77.3.26 中原電車区 |
南武線配置のモハ72形は、晩年は72系新製車以降の車両で固められており、クモハ
クハに比べるとバラエティには欠けました。
モハ72646 78.1.22 中原電車区 |
モハ72705 77.8.2 川崎 |
後期の鋼板屋根タイプのモハ72705。
雨樋も鋼製になっています。
モハ72861 78.7.18 武蔵溝ノ口 |
そんなモハ72形ですが、何故か一両だけ低屋根の850番代が紛れ込んでいました。
こちらのモハ72は本来は中央東線用の車両なのですが、南武線と青梅・五日市線に各1両が溢れたのか、以前から配置されていました。
モハ72861 77.11.23 尻手 |
モハ72925 77.8.2 川崎 |
8 comments:
モハ72の850番代は日立製なのが珍しかったですね。全金車が入った頃の中央線、総武緩行ではジュラ電改造以外のあらゆるモハ72が見られました。まともな写真を撮れる年齢ではなかったのが残念です。
モハ72の500番代は大手私鉄の新鋭車両登場などどこ吹く風といった造りでしたが、途中から鋼製の屋根や雨樋になるなど地道に進化していますね(笑)。後々を考えると、両開き扉を導入しても良かったような気もしますが。車端部客用扉脇の上下の手すりは、乗降時の安全対策?なんでしょうか。
こうやって見ると、850番台は雨樋の位置もずいぶん低いです。中央線のモハ71やモハ72850番代は、すぐ隣の身延線には結局転属しなかったですね。
モハメイドペーパーさん
当時の中央線の72、73系を見れたというのは、羨ましいです。
850番台は当初から他線区に何両か配属されていたのはすでに計画時から完成の間に所要数が変わってしまったのでしょうか?
midorinoneko さん
国鉄の車輌はとのかく保守的でしたね。斬新な装備は当時期待できなかったのでしょう。
扉脇の手摺は、編成分離して構内入換時に使用する目的であったと思います。
midorinoneko さん、みなさんこんにちは。
モハ71やモハ72850台が身延線に転属しなかったのは、さらに60ミリ低屋根にする必要があったからではないかと想像していますが、真相は??(図面見てないからわからないです…)。もっとも、中間車のモハ71とロングシート4ドアの車輌は、身延線にいくらクモハ60かサハ45がいたとしても、使いにくかったかも?。
結局モハ72850台は、無関係な場所に転属したり、事業用車の種車になったりしましたね。モハ72861はよくサハ78142と組んでいて、その差が際立っていたりしましたが。chitetsuさんの画像でも、隣は同車のような感じですね。
サハ78142は本当に「すごい」車内で、薄緑色の塗りつぶしではありましたが、三段窓の手掛けが上段はそのままで、子ども心にも「ものすごい車輌」だと思いましたよ。隣の車輌に乗ればよかったのか(笑)。いや、あれに南武線で乗れたのは、貴重な体験だったと思いたい(笑)。
失礼いたします。
すぎたまさん
中間電動車は身延線では使いにくいのが何よりもの理由なきがしますが如何でしょうか。
中央東線の山スカの転用先は結構難航したという話を聞いたことがあります。
結果的にモハ72は嫁入り先が無くて改造種車になったのでしょうね。
アコモもやっていませんでしたし。
他にどんな候補があったのか気になります。
すぎたまさん
社線だった身延線は中央線よりもトンネル断面が狭いので、そのままでは安全基準に引っかかるし、4両編成はやはり使いづらいしといった辺りですか。72系更新車のモハ62とクハ66も、どうせなら2両編成で作ればもっと使いやすかったような気もしてきます(笑)。
chitetsuさん
構内入れ替え時の作業用の手すりだったんですね。お陰様で謎が解けました。4両編成なら、72系の評判がいま一つだった御殿場線に山スカを回す選択肢もありそうでしたが、大組織の国鉄は車両の転配も厄介そうですね。
すぎたまさん
身延線は4連が多かったことから62系は4輌固定にしたのだとは思います。
でも編成を崩すことはできなかったので、運用面ではちょっと面倒だったかもですね。
車体は新しいのに、あまり長生きできなかったですね。
Post a Comment