今から15年前、2005年の年末の相鉄線風景です。
当時、毎月一回都合がつくときは相鉄線に出かけていました。
その目的は、月に一度走る骨董品電車・モニ2000形でした。
05.12.20 星川(自信なし) |
モニの運転日はおおむね予測はつきましたが微妙にずれることもあり、3回に1回はスカを食らいました。
この時も来るか来ないかヤキモキして待つことしばし、黄色い電車が来てくれました。
05.12.20 二俣川 |
上は今は無き7000系電車と下は当時の最新鋭・山手線電車タイプです。
この時はこの電車が将来的にJR直通車になるのだと思っていましたが、違いましたね。
05.12.20 二俣川 |
最新鋭と最古参の顔合わせ。
冬の午後の斜光がきついです。
05.12.20 二俣川 |
ここからはいずみ野線に入線するので、右に渡ります。
05.2.20 二俣川 |
二俣川で小休止。
車掌さんもしばし歓談中。
12.12.20 ゆめが丘 |
追っかけます。
そして、いずみ野線内では前回もアップしたこちらで走り去るのを撮影しています。
05.12.20 ゆめが丘 |
ゆめが丘駅の構造物と光のさし方がなかなかと思いました。
電車は7000系じゃないですね。
この辺りはよくわかりませんのでコメントスルーで。
05.12.20 星川ー天王町 |
横浜に行ったモニの入庫列車を星川付近から撮りました。
この辺りは高架化でまったく様子が変わってしまっています。
モニの起源は少なくとも昭和一桁の足回りです。
車体だって既に形態統一工事をしてから45年程度経過しています。
平成の世にこんな電車がよくも生き残って、なおかつ本線上を悠然と走っていたものです。
それも横浜駅までやって来ていたというのも凄いことです。
奇跡としか思えない光景に立ち会えた嬉しさを感じながら見送りました。
4 comments:
姿かたちは大きく変身していますが、経歴を辿ると元国鉄モハ30形が21世紀まで活躍したことになりますね。Wikiの解説には昭和30年代に全金車体に更新とありますが、伊豆箱根鉄道譲渡車を見た時は車内の床や壁は木製だったような気も。あれは気のせいだったのでしょうか?(笑)。原形にこだわらなければ、現在は大雄山線コデ165が国鉄吊り掛け電車最後の現役車両ということになりますね。
日立電鉄にも2両譲渡されましたが、小型電車天国の路線に制御車とはいえ国鉄サイズの電車がよく入線できたものと思いました。
モニ2000形については、midorinonekoさんが詳しく書かれていますので、コメントスルーされた5000系について書かせて頂きます。
昭和30年台前半に製造された18m級、湘南顔、ボディーマウント、オールMの初期カルダン車を昭和40年台末に7000系と同様の車体に載せ替え、さらに昭和から平成へ移る頃にVVVF化したものです。
吊り掛け電車や特急用カルダン車の車体載せ替えは多く見られますが、通勤用カルダン車の車体載せ替えは珍しく、他に西武9000系くらいしか思いつきません。
そういえば、西武9000系もその後VVVF化されました。
midorinoneko さん
おっしゃるように昭和直ぐの30形や31形が延々と活躍したことになると思います。
Wikiの全金属はおそらく誤りで、半鋼製ではなかったかと思います。
コデは無くなりそうで無くなりませんね。
今や貴重な生き残りですね。
日立で見たときは場違いに大きい感じがしました。
三等急電さん
コメントありがとうございます。
あの湘南顔の5000系のなれの果てだったのですね。
5000系は画期的なデザインの電車だと思いますが、車体が弱かったのでしょうか、早くに引退していますね。
新性能車の車体載せ替えは確か名鉄や近鉄でもやっていたような、でも詳しくはわかりませんです。
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