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Friday, June 5, 2020

40年前の西武線

1980年の6月を迎える前後の西武線の写真で、40年前の様子を振り返ってみたいと思います。

クモハ427 80.6.17 上井草
現在の新宿線で高田馬場から乗っていて、畑が見えるようになるのがこの付近からです。
井荻駅付近はどんぶり坂の底のような立地で、急行はこの区間では西武線にしては結構な速度で走り去ります。
画面奥が井荻になります。

クモハ477 80.5.27 中村橋ー練馬

今度は池袋線です。
練馬から中村橋の区間は目白通りと立体交差します。
ここは高架化時に線路と道路が一夜で入れ替わった大工事で話題になりましたが、これはそれ以前ののんびりとした時代の光景です。

クハ1226 80.5.27 中村橋ー練馬

反対側を向くとこんな感じでした。
写真は初期型101系のラストナンバークハ1226です。

クハ1229,1189 80.4.27 中村橋ー練馬

このころは仮面のN101系が増え始めた頃でした。

クモハ554 80.5.20 中村橋ー富士見台

こちらは地元の駅として利用した中村橋と富士見台の間の風景。
住宅街でしたが、結構緑もありました。

クハ1443 80.6.3 所沢
中線がある時代の所沢駅で。
電車は西武新宿ゆきの急行です。
まだ辛うじてクハ55タイプのクハ1411形が現役でした。

クハ1446 80.6.7 稲荷山公園ー武蔵藤沢

クハ1411形は池袋線でも活躍を続けていました。
自分にとってはちょっと前の様な気持ちなのですが、ずいぶんと昔のことであります。

15 comments:

緑の猫 said...

池袋線の高架複々線計画が騒音などの反対運動で長期凍結状態になってしまったので、80年代になっても線路沿いの景色は案外そのままでしたね。冷房付きの新101系が続々と投入されていましたが、通勤ラッシュ時のすし詰めのろのろ運転は相変わらずでした(笑)。現在は所沢以遠に武蔵野の雑木林の雰囲気が幾らか残っていますね。

551系は台車の違いで乗り心地がずいぶん変わるものと思いましたが、411系→401系の徹底した改造は驚きでしたね。クハ1411形は多摩川線からも既に消滅していて、結果的に最優先路線の池袋線が最後の活躍場所になったのはちょっと意外でした。

Cedar said...

西武線はお電車はイマイチ好きじゃない(すみません!)ですが、沿線のムードや駅の佇まい、独特の線路配線術などは好きでした。池袋線は学生時代の彼女が富士見台に住んでたり、日芸に行った友達に教えてもらった喫茶店に屯したりして結構利用する機会が多かったんですね。ホームの斜めに張られた石畳みが懐かしい。

石マロ said...

80年代前半は、黄色い電車に混じってまだまだ赤電が活躍していましたね。
保谷や東長崎のホームに沿った電留線には日中赤電が休んでいることが多くて、好きなだけ観察できたことを思い出します。

chitetsu said...

midorinoneko さん
西武線は関東の他の私鉄に比べて都心乗り入れ・高架化など遅れをとっていましたね。
車輌のレベル、更新ぐあいもそうでした。
それが地元民としてはもどかしくもあり、嬉しくもありでした。
戦前の車体設計を踏襲し、なおかつ大正時代設計の台車を履いた電車が1980年代まで大動脈で活躍していたことはある意味すごいことでした。

chitetsu said...

Cedarさん
そうと思います(笑)。
お電車の後発性はいかんともしがたいし、国鉄タイプですものね~。
鉄道施設は西武らしいユニークなものが今も辛うじて残っていますね。

chitetsu said...

石マロさん
80年代前半はまだまだいろいろな電車が入り乱れていましたね。
東長崎の昼寝編成はのんびり観察するのには良かったですね。
よもや退避設備がお隣の駅から移って来るとは思わなかったです。

12号線 said...
This comment has been removed by the author.
12号線 said...

写真を撮られた年代の西武と言えば、ライオンズを保有した事でしょうか。
グループ会社の一員なのでしょうが、関東私鉄でプロ野球球団持ったのは東急以来かと。

西武ライオンズとしてのスタートはBクラス続き、揶揄も込めたアニメも作られましたがその後の黄金時代は周知のとおりです。
スカイブルーにレオマーク、それらもすっかり姿消してその当時の電車達と共に記憶の彼方に沈んで行くのでしょう。

モハメイドペーパー said...

 昭和50年6月から1年ほど所沢に住み、通勤で池袋まで乗っていました。101系のナンバーが200を越えた時代です。貨物も健在でおもしろかったけど、スピード感はまったくなしでした。

すぎたま said...

赤電の長編成は圧巻ですね。この時代に吊り掛け車の長編成(8連か10連に見えますが)は、西武の他には東武(7800系など)、小田急に少し(1800×8と、4000×10)あったくらいでしょうか。
東長崎に友人宅があったので、何度も行きましたが、留置線に列車がたまに止まっていたと思ったら、今は待避駅に「昇格」しているのですね。驚きです。
ごく最近のように思えて、相当年月が経過しているということに、愕然としますね(笑)。

chitetsu said...

12号線さん
ライオンズカラーの電車まで出現した時は、うっと来ました。
電鉄会社が野球チームを持つ時代ではなくなってきましたね。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
101系が200の桁になった時代、懐かしいですね。
それにしても西武線のノロノロ運転はなんとももどかしかったですね。

chitetsu said...

すぎたまさん
西武の10連は民鉄でも先鞭を切りましたね。
赤電の10連は当たり前にやってきました。
もうずいぶん昔のことになりました。

maru-ha said...

1枚目の俯瞰写真は、ビックリー!!
このあたりは一種住専の地域なので、高い建物があんまり無いので。
えっ、こんなところあった?のかという感じです。

ちなみに、この電車の線路の反対側は、西武農業鉄道の痕跡、あの例の「池」と引込線らしいっす。
今は、みんな住宅地になり痕跡は全くわかりませんが。。。
(冬になると、北風になるので、線路の南側もかなり、臭ったらしいですよ)

chitetsu said...

maru-haどの
今となってはどこから撮ったのか覚えていませんが、このような建物への立ち入り自体がままならなくなりましたね。
例の池はもっと駅よりなのかと思っていました。