先日、過去の編成記録を探すために久々に昔の撮影メモを引っ張り出しました。
デジカメ時代の今はGPSをONにしていれば、日時から場所まで記録され特定できますし、iPhoneなんかだと何もしなくても地図上で写真を検索できるので、記録をメモするという行為が無くなってしまい、ずいぶん怠慢になっています。
そんなもの無いアナログ時代はメモが必須でした。
現在思うのは、やはり活字で残したメモというのは大切で、過去の記録はすぐに検索できますが、デジカメになってからの記録の方が検索に難航します。
皮肉なものと思っています。
さて、そのメモ帳の話題です。
撮影メモ自体はさておき、こんなメモも取ってありました。
構内に居た電車の位置をメモしています。
左上と右上:伊那松島
左下:横川
右下:北松本
メモの意図が今となっては思い出せません。
構内配線図でもないので、写真撮れなかった車輌もメモでせめて残したかったのだと思います。
その時の画像から一枚。
でも、構内全景を撮るなんていう気の利いたことはしていません。
せいぜいがこの程度です。
これは富士電車区のメモです。
下には実車の実測寸法も。
これは八王子で観察したキハ35の床下。
これをベースに模型を作りました。
こちらは長野駅で撮影した時のメモです。
70系と80系がどんどんやってきました。
汚いメモです。。。。
でも、編成記録は今となっては貴重なので、ここにお目に掛けます。
配給電車と荷物電車の運転時刻。
これを見ながらあちらこちらでぶどう色の電車がやって来るのを待ったものです。
配給電車は平日のみの運用ですので、放課後に戻って来るのを撮るのがメインでした。
改めてみると懐かしいです。
こんな別冊も作って、どの車輌を撮ったかをチェックしながら撮影していました。
撮影した車輌には横線を入れてつぶしていました。
このメモは車番だけの時代のものですが、さらにメモはグレードアップして、電気側・空気側の撮影有無がわかるメモに進化しています。
今なら行くたびに撮影していたかどうかなんて関係なくデジカメでバシャバシャしそうですが、当時はフィルム。
学生が買える本数が限りがあり、一コマ一コマが貴重でした。
本来の目的のメモ検索よりも、それ以外の部分で懐かしく結構じっくり見返しました。
すごいなあ!まさに英国流「トレインスポッティング」ではないですか。
返信削除彼らは文字だけですが、イラスト入りなところがジャパニーズChitetsuさんらしいです。
メモの必要性は認識していますが、カメラと筆記用具の両立は難しく、私はほとんどメモなしです。学生のころもあまりノートはとらなかったし(自慢にならん)。ChitetsuさんはB型なのでしょうか。
返信削除Cedarさん
返信削除ありがとうございます!
同行した先輩からメモの仕方指南を受けました。
シャッタースピード、絞りも書いていましたが・・・・
いつしかどんどんテキトーに・・・。
モハメイドペーパーさん
返信削除私は典型的B型であります。
車番の記録は後年大変役に立つことになりました。
記録の大事さは後になってデジカメ時代になってわかりました。
クハ16432と16444は、可部線名物?の自動連結器装備で偶数車でも前面下のホースが賑やかです。乗車するとガチャガチャとよく揺れたでしょうね。旧モハ50系は私鉄を含めてあちこちの路線で活躍しましたが、本家の国鉄では可部線が最後の働き場所でしたね。
返信削除富士電車区のモハ62とクハ66は常時4両固定編成扱いと思っていましたが、ばらして留置していたんですね。もう2両はどこに行っていたのかちょっと気になります(笑)。
長野駅は朝は80系の10両編成が発着していたんですか。今では想像も付かないが、これは壮観だったでしょうね。
midorinoneko さん
返信削除50系の営業車両を見ることができたのは個人的には可部線だけで、この一回限りでした。
やはり足元が古いので、17M車でも淘汰は早かったようです。
62系の残り2両は検査でしょうかね。
80系10連も忘れていました。
自分もこういうメモ見ないとすっかり忘れてしまいますね。