当時は創立50周年を記念した新車が投入されたばかりで、多くの車輌はまだ吊り掛け電車の時代でした。
以前掲載した画像をリファイン・再編集して1980年3月の稲荷町駅あたりの様子をまとめてみました。
以前の記事はこちらで見られます。
富山駅から稲荷町での風景
⇒https://tsurikakedensha.blogspot.com/2012/04/blog-post_28.html
在来車輌
⇒https://tsurikakedensha.blogspot.com/2012/04/blog-post_30.html
規格型電車
⇒https://tsurikakedensha.blogspot.com/2012/05/blog-post.html
名鉄3800系譲り受け車
⇒https://tsurikakedensha.blogspot.com/2012/05/blog-post_02.html
高性能電車
⇒https://tsurikakedensha.blogspot.com/2012/05/blog-post_05.html
モハ14755 80.3.8 稲荷町 |
こちらは本線系統の規格型電車の3両編成。
モハ7542 80.3.8 稲荷町ー不二越 |
こちらは不二越上滝線の3両編成。
同じ旧型車でも在来車と規格型は別扱いで、塗分けも違っていました。
モハ14763 80.3.8 稲荷町 |
ラッシュが終わってから車庫を訪問しました。
車庫には投入したばかりの14760形が点検中でした。
次の50年に向けて富山地鉄の節目の年であった気もします。
モハ14752 80.3.8 稲荷町 |
こちらは戦後の規格型のモハ14750形。
長野電鉄の1000形と瓜二つです。
規格型は特急電車にも起用できるようにクロスシートで、台車も新品に交換してもらっていました。
モハ14712、モハ12511 80.3.8 稲荷町 |
名鉄からのおさがりの14710形は結構な大所帯で、今の京阪電車と同じような位置づけで会ったかと思います。
右の在来車は新鋭者の陰で出番が減ってきており、数年で消え去っていきました。
クハ16、モハ7542 80.3.8 稲荷町 |
車庫内の風景です。
今から考えるとパラダイスのような世界でした。
早いもので、この時からまる40年も経過しています。
10 件のコメント:
富山地鉄14760形は、この時期に地方私鉄で新車が大量増備された珍しい例でしたね。国鉄の急行列車や大手私鉄の通勤電車よりもサービスが良い転換クロスシート、稲荷町駅と車庫の複雑な配線や、常願寺川の長い鉄橋を普通列車がびゅんびゅんと飛ばして走る光景を見た時は驚きでした。いかんせん運賃は高いが、本線のスピードと座席は地方の鉄道ではトップクラスでしたね。
譲渡車両としてはお買い得品だった名鉄3800形は、割と使い勝手が良かったのかこの後も改造を加えつつ活躍しましたね。富山地鉄の日車規格型14750形は扉と窓割のせいか、車体が18mよりも短く見えるのも面白いです。
私が少しまとめて撮影したのは1990年代前半で、もう自社発注の旧型車は姿を消していました。特急がほぼ1時間に1本くらい走っていたし、国鉄や名鉄からの乗り入れもあって、随分と活気がありました。残念ながらそういう時代は戻って来ないでしょうね。
midorinoneko さん
地方私鉄であれだけの輌数を新造したのは当時としても珍しかったですね。
でも、残念ながらもう新車作る体力は残っていなさそうですね。
今でもあの良好な内装は魅力的ですし、ガンガン飛ばすのも良いですね。
好きな電車です。
モハメイドペーパーさん
私が行った時がどうも最後の活躍の時代だったようで、次に行ったときは自社発注車は規格型以外すっかり消えていました。
先日行ったときはコロナのせいか特急はやって来ず、結局一本も見ませんでした。
この電車は鉄コレ14弾で知ったのですが、割と見た目がオーソドックス(運輸省規格型なので当然か)なので「お、これはいいな。」と同じ第14弾組を含めて何両も買って塗り替え、うちの鉄道の郊外電車になっております。
なぜかこの富山の奴だけ連結面側の窓がないので、南海クイシニみたくトイレ付きの優等車にしようかな?と思ってたり。
レサレサさん
運輸省規格型と名鉄3800はマッチングが良かったので、違和感があまりないですね。
連結面に窓が無いのは私も不思議に思いました。
14750形、好きな電車です。これとカルダン車の併結が見たくてわざわざ足を運びましたね。
Cedarさん
14750形、良いですね!
一連の吊り掛け電車の中でも同系列は別扱いで大事にされていましたね。
カルダン車との併結も魅力的でした。
特急運用は撮るだけでなくて乗ればよかったと今頃後悔しています。
初めまして。今頃になってこのブログに気が付いてごめんなさい。
14710形の連結面に窓が無いのは、冬の隙間風対策のため地鉄で塞いでしまったからです。
借入及び譲受当初は塗装以外は名鉄時代のままで窓も残っておりました。
これは自社発注カルダン車も同様で、14780形及び20系列も製造当初は連結面に窓がありました。
先輩の記録によれば、14720形2編成の妻窓が昭和47年6月及び7月に塞がれたとのことですので、14710形もその頃に施工されたのではと思います。
また、昭和48年より立山線特急に運用するため4編成がクロスシート化及び青色+白帯となりましたので、その際に施工された可能性もあるかもしれません。
ご参考となれば幸いです。乱文乱筆、大変失礼致しました。
de5016 さん
コメントありがとうございます。
妻窓をふさいだのはそういう意味があったのですね。
ご本尊には妻窓があったので??と思っていましたが、理由を伺うと納得です。
自社発注車も同様の改造をされていたのは知りませんでした。
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