さすがに100%の予報となれば天気予報も外れないでしょう。
立山バックの写真は期待できなので、廃線跡遺構の探訪からスタートしました。
20.3.22 電鉄黒部ー電鉄石田 |
食事後は幸いまだ雨は降り始めていませんでした。
こちらはあいの風とやま鉄道をオーバークロスして電鉄黒部駅に向かう手前の区間です。
この角度から見ると、複線のように見えます。
20.3.22 電鉄黒部ー電鉄石田 |
でも近づくと、単線であることがわかります。
やってきた電車はなんとも不似合いなTQ電車。
20.3.22 電鉄黒部ー電鉄石田 |
この区間は国鉄黒部(三日市)駅と電鉄黒部(電鉄桜井)駅の間を結んでいた黒部支線の廃線跡です。
架線柱が複線用なのもそのためです。
画面奥右手が本線、勾配にかかる手前から左に折れて黒部駅に向かうのが黒部支線跡です。
20.3.22 電鉄黒部ー電鉄石田 |
黒部川の電源開発で黒部鉄道が開通したときは三日市が起点でしたが、その後富山直通ができるようになってからは黒部支線となり盲腸線となってしまいました。
経営面でも競合になってしまう国鉄線接続はやはり無用な存在で、1969年に廃止となっています。
そのような理由を考えると、良く1969年まで維持したともいえる気がします。
20.3.22 電鉄黒部ー電鉄石田 |
元の黒部支線の線路敷に警報機が建っています。
20.3.22 電鉄黒部 |
そして電鉄黒部駅に集束されてゆきます。
9 件のコメント:
こんにちは。
富山地方鉄道は、一時小田急の9000を(たぶん2連にして)導入するというウワサがありましたが、あれは本当だったのですかね。もし事実としたら、2ドアに改造する予定だったのか…。2、4ドアを埋めると、ワンマン向きになるようにもなりますが…。
地鉄の凋落ぶりは地元の方からも聞いていました。
長野、そして富山、なまじ観光地まで長い路線があるのが今や経営を圧迫してるんでしょうか?
すぎたまさん
小田急9000を検討されたというのは私は初耳です。
私が聞いたことあるのは阪急2800でした。
当時は2扉に戻すのに鋼体がすでに弱っていて断念したと聞きましたが、TQの使い方見ていると単純にドア締め切りで運用されているようですから、そうなれば何扉でもよいということになるのでしょうか?
Cedarさん
乗車してみるとお客さんがとにかく以前より少ないのと保線が悪いのが気になりました。
長野みたいに路線短縮しないことを祈りたいですね。
1970年代から地鉄を見ていますが、
以前は立山アルペンルートを利用する客で
(登山と観光の両方)
繁盛していました。
それが2000年代あたりから
閑古鳥が鳴くようになった気がします。
室堂の混雑は昔と変わらないので
人の動きに変化があったのでしょうか?
にぶろくさん
どこの鉄道でも同じことが起こっているかと思いますが、ここでもバスや自家用車に転移しているのでしょうね。
インバウンド需要で若干お客さんが持ち返したそうですが、ここにきてそれもコロナでリセットですね。
北アルプスには18きっぷなどを使って毎夏登山に行きますが、登山客や観光客は格安ツアーバスに大幅に移行している様子ですね。規制緩和と自由競争の導入で経済成長目標の達成を目指す国の方針によるものですが、既存の地方の交通業者の経営悪化、現役労働者のワーキングプア化とデフレ化、事故の発生などデメリットも多いようです。
悪化する地域の公共交通への対応は各自治体にお任せというのが現在の国のスタンスですが、日本は自治体の力が弱くて金も能力も事欠くというのが現状ですね。
midorinoneko さん
他の国でも同じような状況で公共交通機関は乗客減になっている事例は多いかと思いますが、我が国は公共交通機関に対してあまりに無策で腹立たしく思うことしきりです。
富山地鉄も懸命に頑張っているのでしょうが、自力で維持するのもそのうち厳しくならないか心配です。
こんばんは。
こちらの記事とお写真を拝見し、国鉄連絡線のあった場所の感覚が掴めました。
富山地鉄と前身企業の歴史が、今は空虚に残っているのが興味深く、いつか訪ねてみたくなります。
並行する国鉄線が長距離と貨物輸送をメインとしていた時代は良かったのだと思いますが、地域輸送に軸足を移す程、地鉄の立ち位置は苦しくなってしまいそうです。
個人的には、どちらにも頑張って欲しいですが、車社会にあってなかなか解決の難しい問題かもしれません。
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