古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2020年1月12日日曜日

一枚の写真から

今日の一コマです。

86.6.26 梅ヶ丘

梅雨時の梅ヶ丘をゆく小田急の9000系です。
仕事先が梅が丘であった時に撮ったものと思いますが、この一枚しか撮っていません。
どのような理由でこれだけだったのは記憶のかなたです。
どちらにしても、地平時代の梅ヶ丘も9000系も今や懐かしいです。

12 件のコメント:

イワキ鯨川 さんのコメント...

カミさんがしばらく住んでいた町なので馴染みがあります。
現在の駅を見ると隔世の感があります。
ジジイになる訳ですね。

やまぐち号 さんのコメント...

ホームのブロックが時代を感じますね!。

taiitis さんのコメント...

9000形の地下鉄千代田線直通列車ですね。
列車番号を表示するところから判断しました。
今は代替わりして1000形から4000形へとなりましたが、拡幅車両が少くなった気がします。

モハメイドペーパー さんのコメント...

 私が小田急で高校に通学した頃は、まだ島式ホームでした。止まる電車も4連が最長だったし。50年以上昔の話です。

Cedar さんのコメント...

日本の骸骨顔のパイオニア9000系、類似品がたくさん出ましたが、本家はサイドとのマッチングもよろしいですね。なんだか短命だったのが残念でした。

すぎたま さんのコメント...

9000系の2輌目が載っている踏切は、午前中は左から右へ、午後は右から左への一方通行でした。なんでも鈴木善幸氏が総理だったとき、朝国会に行き、夜帰るのに合わせているというウワサが立ちましたっけ。今から思えば、細い踏切だったので、踏切上で車がすれ違うことは出来ず、通行量からして当然の処置だったのではと思いますが…。
背後にあるビル(壁が茶色で9000先頭車の真後ろ)を舞台に、高架化反対の大規模な訴訟に発展するのでした。もちろん今は高架複々線化で画像に見える家々は全て移転しています。
9000系、いい車輌だったとは思うのですが、晩年はユニット内でも足並みがそろわないのか、前後衝動が激しく、乗り心地の悪化が気になりましたね。車体修理(更新)後、それほど長くは活躍しませんでしたが、登場当時は画期的なシステムも、VVVF車の時代になると、さすがに見劣りしてしまったようです。

chitetsu さんのコメント...

イワキ鯨川さん
梅が丘付近は良い街ですね。
たまに駅近くのレストランでご飯食べたりしました。
今の梅が丘は別のようになってしまいましたね。

chitetsu さんのコメント...

やまぐち号さん
おお、珍しいとこを突いてきましたね!
昔は当たり前だったものが今は結構懐かしいものになるものです。

chitetsu さんのコメント...

taiitis さん
登場時は今一つ馴染めない顔の電車でしたが、顔が馴染めるようになったら引退してしまいました。
薄幸の電車という気がします。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
この後海外向けにも類似顔が出たりして一世を風靡した顔になりましたね。
今見るとライト廻りの処理が古臭い気もしちゃいます。

chitetsu さんのコメント...

すぎたまさん
午前と午後で一方通行が変わるのは結構あちこちでありましたね。
通学で使っていた関東バスの阿佐ヶ谷付近も午前と午後でバスの循環系統が変わっていました。
小田急線の高架化は訴訟問題で難航したのが印象的です。
京王線明大前付近も同じことが起こるのでしょうか?

chitetsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
さすが、昔のことはお詳しい!
島式だったとはびっくり。
島式では有効長延長は大変そうですよね。