古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Sunday, February 10, 2019

世田谷線の緑の電車

折に触れて訪れる世田谷線。
今もそれは続いています。
今回はその最初の頃の画像からです。

デハ85 80.5.17 下高井戸

下高井戸駅に停車するデハ80形。
美しく整備されていました。

デハ73 79.10.24 下高井戸

更新をする前のデハ70形。
80形に比べると随分古い印象でした。

デハ74 79.10.24 下高井戸

雰囲気は今もあまり変わらない下高井戸付近。

デハ83 80.5.17 下高井戸

運転台はシンプルそのもの。

デハ84 80.5.17 三軒茶屋
こちらは三軒茶屋駅付近のデハ84。

デハ85 80.5.17 下高井戸

デハ85と86だけは最期まで両運転台で、検査時は色々な相手と連結して走りました。

デハ86 80.5.17 下高井戸

この時は通常モードの85-86の編成でした。

デハ71 81.5.1 下高井戸

更新後の70形。
なんちゃって80形みたいになってちょっと気難しそうなお顔で活躍を続けていました。

6 comments:

伊豆之国 said...

「玉電」の70型は、「古武士」といった風格も感じ取れ、それなりにファンも多かったのでしょうが、「魔改造」で「80型もどき」に大変身していまい、晩年には足回りも取り替えられて吊り掛けでもなくなって、ほとんど魅力もない車両に化けてしまったのは残念でした。
300型への「総入れ替え」の過程で、共に「相棒」を先に失ってお互いに「孤独」になった77と86が、廃車になるまでコンビを組んでいたことを目にしたことがあり、77が「80型もどき」になっていたことで、全く違和感がない編成に見えたのでした。
「ボロ市」見物などでよく乗る「玉電」ですが、山下と下高井戸の間は普段用がない区間になっていることもあって、このところすっかりご無沙汰しており、最後の写真に写っている「内海内科」が廃業したことはだいぶ前に知っていたのですが、松原駅の北側の線路沿いにあって記憶に残っていた「広瀬佐紀子バレエ教室」も最近になって消えたことを知り、また懐かしい景色が消えていったことに寂しさを感じます…。

chitetsu said...

伊豆之国さん
70形の更新はびっくりしました。
その後の前照灯の改造は更にびっくり、以来世田谷線から遠ざかってしまいました。

玉広犬 said...

このタイミングでコレ特集はありがたい!
おっちゃんも広電だけじゃなくて玉も逝こうやー!

chitetsu said...

玉広犬どの
玉、すでに出来上がっているのでよければ、エントリーします!

玉広犬 said...

よろしくたのんますー!

chitetsu said...

玉広犬どの
了解です!
たまでん時代の80形2輌でエントリーします!