その事について、立場的にブログで私が書くべきかどうか迷いましたが、やっぱり私なりの思い出を書きたいかと思います。
私は皆さんご存知のようにネコ系のお仕事をさせて頂いています。
なので、おばちゃんは競合誌の編集者ということになります。
しかしながら、模型の世界は狭いです。
行くとこ行くと、おばちゃんに会います。
取材する対象も競合します。
場合によってはどっちゃが先か、なんてこともあります。
でも、皆さんがいろいろなとこで書かれているようにあの独特キャラで迫ってくると、なかなか知らない顔はできません。
お話をするきっかけはわんわんプロデュースの阪神国道線の競作あたりからだったと思います。
今回の伊豆に行ったときにも、わんわんと最初に話したのは西原さんのことでした。
そして、おととしのJAM。
チームおやびんのおやびんから、翌年のチームおやびんの講師を依頼されました。
これは、逡巡しました。
競合誌の企画の主役をするのは個人的にはネコ社に対して仁義を切る必要がありそうです。
でも、あのおやびんからのお願いはどう考えても、お断りできません。
しかし、それ以上にビビッていたのは西原おばちゃんだったそうです。
『そんなことして、だいじょうぶなのか?』とおやびんに言ったそうです。
私は、依頼を受けた翌日は翌年の講師発表だという猶予の無い中(たぶん、わざとでしょう)で、受諾しました。
ネコ社側は話すればすむけど、とれいん誌とうまくやっていけるか・・・
そっちの方が心配でした。
しかし、おばちゃんは丁寧なメールを何度もくれました。
こんな感じです。
すごく私の立場に気を使ってくれました。
私も安心してお題の設計・製作を進められました。
お題は地元の西武電車にしました。
紙成塾の型紙のやり取りも丁寧で、このような往復が4回ぐらいありました。
わたしもその気持ちにこたえようと一生懸命やらせていただきました。
そして、昨年夏のJAM。
このような形で、まとめることが出来ました。
周りからも応援を頂いて、楽しいイベントとなりました。
そして、これは恒例の記念写真のシーンです。
画面左に一人だけ青いシャツで立っていますね。
そして、次回のチームおやびんの講師の指名権は私にありました。
これは迷いがありませんでした。
ネコ誌でいつもカメラマンとして私の作品を撮っていただいた青柳さんを指名させていただきました。
その理由は大きく二つありました。
一つは青柳さんが定年退職され、しがらみがなくなったことで、模型を楽しんでほしい、これまで遠慮されたことにも挑戦されてもいいのではないか、ということです。
もう一つは、この機会にやはり同業他社のカメラマンである松本さんに青柳さんの写真を撮ってもらい(実は、仲が良い!)、ネコととれいん誌の垣根を越えてコラボ企画をしたいと考えました。
この私の思い付き企画については、やはりおばちゃんもちょっとビックリしたようで、その場ではうん、とは言えませんでした。
一寸持ち帰らせてくれ、と言われました。
そしてちょっと時間をおいてから、社内の了解をとれた、と返事がきました。
この話はもうちょっと後で公開しようと思っていたのですが、こうなってしまうとこの機会に書く意義がありそうな気がしたので、ここで書かせていただきます。
この建物はその企画のために現在製作中のものです。
これを完成させて、京王委員会メンバーの車輌を並べて写真を撮って、そのあと江古田でおばちゃんを含めて大いに盛り上がることになっていたのに、大変残念です。
ほぼ同い年のおばちゃんのご冥福をお祈りして、今回の記事とさせていただきました。
おばちゃん、ゆっくりおやすみください。。。。。。。
10 comments:
朝から涙腺崩壊です。。。
ホントに悔しくて残念でなりません、
あの風貌からは想像できない繊細さと心配りの心を持たれた素敵な方でした。
合掌!
ぽんキチさん
そうですよね、あの風貌からは想像できない心配りがありましたね。
それに気づくのにずいぶん時間がかかりました。
最後で、そういう会話できたのは良かったと思います。
合掌。
編集者の気働き、プロデューサーの目配り、ものを造る孤独と矜持を併せ持つ、そんな素敵な人が立て続けに逝ってしまう。しかもみんな自分より若い、こういうのって凹みます。一方で空気が読めない輩がのうのうと生きているのも凹みます。
西原さん、皆さんよりは淡いお付き合いでしたが、返す返すも残念。
改めて合掌…
Cedarさん
私も立場上の遠慮もあって、結構な数会っている割にはじっくりと話したことはほとんどありませんでした。やはりおやびんの講師させていただいてからだったと思います。
訃報に接した時、そこに書かれていた名前と本人が結びつかず、理解するのにちょっと間がありました。
おばちゃんは私も一つ下の歳ですし、色々な面でショックです。
せめて一緒にやる予定だった今回のJAMのお題を盛り上げたいと思っています。
私も同業者ですが、対象が模型ではないので、直接は競合しない立場です。この業界の労働環境はかなりブラックに近いし、まして模型の運転会はほとんどが土日に引っかかるので、それを取材しても満足に代休なんかは取れなかったと思われます。おまけに反省という名目の呑み会は数知れず。好きなことをやれたのだから悔いはない、なのかも知れないけど、そんなに急いで三途の川を渡らなくてもよかったろうに。
実は直流F級機の青春コレクション企画の製作メモをメールで送った直後の出来事でした。
だから私も一瞬、訃報を見て「はて、西原さんて、どの人だったっけな?」と思ったほど、実感が湧きませんでした。
2016年に、40年ぶりにとれいん誌に作品を掲載していただく際、大変丁寧なメッセンジャーのやり取りをさせていただき、緻密で繊細な方なのだなぁ、という印象を持ちました。
前々回の合運で、レストアなった私の高校時代の特急車を見ていただき、「写真より実際見ると迫力ありますね!」とお褒め頂いたのが思い出です。
モハメイドペーパーさん
この間の湘南の運転会の時も三日ぐらいほとんど寝ていなかったみたいですよね。
締切もあるし、厳しい労働条件だったものと推察します。
編集の人の年齢を考えると、まだまだこれからという感じだったのに。
赤影さん
私も訃報に触れて、西原さんと言われてもどのこ西原さんかピンときませんでした。
そのぐらいのびっくりでありましたね。
ドサドサ来る印象と、実際に接しての印象は結構違いがある方でした。
やり取りの丁寧さは、皆さん言われていますね。
阪神国道線競作の際はお世話になりました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
S.SAWA さん
そうでしたね。百番での宴会も思い出します。
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