長岡分岐点線路配置 |
当時の線路配置図です。
デルタ線の手前側(福島駅前側)に交換設備があり、その後いったん集束してから保原方面と伊達方面に分岐します。
デルタ線になっていますが、保原〜伊達方向への定期列車は無かったようなので、主に貨物用だったのかも知れません。
今回からはCedarさんが撮られた1967年の画像とも比較して今昔をご覧ください。
18.9.3 長岡分岐点 |
写真右手が福島駅前、奥が保原方です。
左手の銀行は健在ですが、右手のパチンコハイルは雑居ビルに建て替わっていました。
1967年の長岡分岐点
Cedarさん撮影
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こちらがCedarさん撮影の現役時代です。
保原への道は電車が走るとは思えないぐらい。
本当に狭いです。
18.9.3 長岡分岐点 |
こちらは分岐点手前側から見た風景です。
下のCedarさん写真と比較してください。
1967年の長岡分岐点
Cedarさん撮影
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デルタ区間に停車中の電車。
人も多く、商店街も賑わっていますね。
今の長岡には人気がありません。
18.9.3 長岡分岐点ー箱崎 |
こちらは保原へ少し行ったところにある神社です。
1967年の長岡分岐点ちかく
Cedarさん撮影
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ここに来たのも、Cedarさんのこの写真を見て撮ったものです。
背後の建物はやはり総入れ替えしています。
18.9.3 長岡分岐点ー箱崎 |
神社の前の道の後方右側には国道4号線をオーバークロスする線路跡が自転車道として残っています。
1967年の長岡分岐点ちかく
Cedarさん撮影
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こちらのCedarさん昔画像と比較するとその様子が良くわかりますね。
18.9.3 長岡分岐点ー箱崎 |
こちらはその自転車道を通って、国道4号線をオーバークロスしたあたりです。
画面の奥をちょっと右に曲がったところに伊達橋があります。
18.9.3 長岡分岐点ー箱崎 |
架線柱が一本保存されています。
ただし、現役時代は両持ちだったのが片側撤去されていますので、完全なオリジナルの姿ではありません。
18.9.3 長岡分岐点ー箱崎 |
下に降りてみるとこんな橋が残っていました。
電車が今にも走って来そうな姿でした。
続きます。
次は伊達橋へ向かいます。
8 comments:
今昔比較、部分拡大して真剣に見ました。
行ってみたいと思いつつも、あまりの変化に落ち込むんじゃあないかと考えたりして、
貧富とか生活利便問題は別として、昔の方が街並みが整ってた気がします。
Cedarさん
昔を知っている方は、あまりの変貌ぶりに落ち込むような気もします。
印象的だったのは、どこも街としての活気がすっかり無くなっていることでした。
日本のリスボン市電キターというような感じですね。こんなスゴイ線路を走る路面電車だったなんて…。知りませんでした。
分岐点の場所、向かい合うようにパチンコ屋さんがあったことになるようですが、当時はそういう光景も珍しく無かったでしょうね。道路になっても三角形なのがなんとも。
パチンコ店跡地に建ったビル、見るからにボウリング場だったようにも見えます(ただの雑居ビルにしては、張り出したガラス窓なんかがそれっぽい)が、正面から見るとそうでも無いような?。不思議なビルです。
分岐点に停車している電車から、タブレットらしきものを持っている駅員さん?が見えます。ここで交換していたのでしょうか。
すぎたまさん
日本でももっともワイルドな路面電車とも言えるかもしれませんね。
地方ではパチンコ屋さんは唯一の娯楽的な部分がありますから、結構林立していたりしました。
確かにこの建物は変な格好をしていました。
分岐点の電車は交換待ちしていたのかもしれませんね。
分岐点の電車は、湯野町〜長尾分岐点の折り返し運行で、ここで終点。福島〜保原方面電車に接続してました。伊達から貨車引いてきて、デルタ線で保原方面電車に入れ換えなんかもやってました。
Cedarさん
フォローありがとうございます!
おじゃまします。聖光学院高校が甲子園に出るようになって、「あの電車の駅の学校だ!」と気付いて、物凄く興奮したのですが、驚きやら喜びやらを、誰とも共有できませんでした。
匿名さん
私もそう思いました。
鉄道絡みで覚えていることというのは多いものですね。
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