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Thursday, August 2, 2018

尾久客車区で見た客車から

先般は夏休みのアルバイトで撮った尾久客車区のDD13をご覧いただきましたが、今回は客車の中から何枚かアップします。

スエ7185 80.7.26 尾久

尾久客車区の主のような存在の救援車、スエ71形です。
見てお分かりのように戦災を受けた電車を復旧、客車に改造された車輌です。
床下には災害復旧用の枕木が積載されていました。


スエ7185 80.7.28 尾久

救援車はいつも同じ位置にいるのかと思ったら、しょっちゅう場所を移動していました。
手狭なせいか、それとも他に理由があったのかはわかりません。

スハフ422201 80.8.5 尾久

スハフ42形をはじめとしたスハ43系客車は当時常磐線の客車列車のほか、急行列車用にも活躍中でした。
客用扉が木製のちょっと変わったタイプがついていたことから撮ったものです。

オエ6121 80.8.5 尾久

こちらは田端機関区の救援車です。
ほぼ同じ構内に救援車が2輌いたわけです。

オユ102564 80.8.8 尾久

郵便車も懐かしいです。


マニ302012 80.7.28 尾久

これは珍客です。
一緒にバイトしていた友人が見つけて、急いで休憩時間に撮りました。

10 comments:

モハメイドペーパー said...

スエとオエ、重量の違いは枕木の分なのでしょうか。マニ30しは当然、空荷ですね。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
スエは元の台枠とかいろいろ重いのでは?
マニ30は空っぽだと思います^_^。

三等急電 said...

スエ71は戦災復旧客車にしてはお肌がきれいと思いWikipediaで調べたら、事故復旧車とのことです。
国鉄42系電車に以下の記述あり。
クハ58011(事故) : マニ72 22 → スエ71 85

マニ30は見たことがありませんでした。荷は空っぽでも見たかった。

すぎたま said...

スエ71 85は、マニ72として昭和25年度になってからの復旧車なので、車体は新製(台枠と柱の一部流用)ですし、戦前並みの仕上げを要求しての製作です。そのため車体がきれいに仕上がっています。ただ、考えてみれば車体を新製した戦災復旧車は、車体そのものは使えなかったということなので、破壊の程度はひどい「C級車」ということになりますね。
庫内を移動していたのは、軸やけを防ぐため?。
暖房管の配管が残っているのと、電車復旧車の証明とも言えますが、台枠四隅にクレーン掛けが残っていますね。客車はデッキなどがあるので、通常クレーン掛けは装備していませんよね。今となっては貴重な画像と言えますね。

chitetsu said...

三等急電さん
スエ71の前身はクハ58形でしたか!
車体のリベットとかないですが、さすがに外板は張り替えているのでしょうね。
真に30は見ちゃいけないものを見たような雰囲気があって、これだけはパパっと撮ってそそくさと去りました。

chitetsu said...

すぎたまさん
ご教示ありがとうございンス。
車体はやはり新製なのですね。クハ58の姿を残していれば面白かったのでしょうがそうはいかない状態であったのでしょうね。
見たときに国電復旧車とはわかったものの、当時その出自までは調べませんでした。
この客車は確かこの後同じく構内移動をしていてオーバーランをした事故があって、その時に犠牲になった気がします。

北マト said...

マニ30、東京から西方面への配送は、基本的に急行銀河だったようです。2000番台ができてから、社内勤務環境も旧型客車時代と比べ、良くなったとの事です。

chitetsu said...

北マトさん
さすがに詳しいですね。
尾久での例の客車もアルバイト中に教わって撮りに行ったはずですよね。

すぎたま said...

重大なことに気づきました。このスエ71 85ですが、画像を拝見すると、いつからかは不明ながら、台車にTR23A(客車)が付いています。ただ、TR23C(試作コロ軸受け)も改造で同様の外観になったので、正確にどちらかはわかりませんが、通常のTR23よりも、軸バネ回りがやや大きめで、軸箱守の左右に大きなボルトが見えます。また左右の軸箱を結ぶ横梁も背が高くなっています。
これがTR23Aの特徴なんですが、初代マニ30等に装備された記録があります。時期からすると、廃車の初代マニ30から流用かもしれません。そうすると、元の台車はどこで振り替えたのか。もしかしたら最初からこの台車なのか。そのあたりがはっきりしませんね。
マニ72の台車は、新製台車を装着したものもあり、それらはTR23B(TR34の枠に平軸受けをはめた台車)が多いのですが、新製時からかははっきりしないものの、TR23A装備の車輌が見つかったのは、特筆すべきことかもしれません。

オーバーランして、人死にがあった尾久の事故は、本車はターンテーブルの脇にいて、ターンテーブル上の車輌に追突した入れ換え列車が、そのまま奥のゴミ集積場へ突っ込み、そこで亡くなった人が出たという事故ではなかったでしょうか。空撮の写真が、「昭和鉄道史」というムック本のような本に出ていた記憶があります。
時期的にスエ71の廃車は、汐留の102、田端?の103、隅田川のもの(配置表行方不明で番号不詳)とだいたい同じような時期だったような?。

chitetsu said...

すぎたまさん
台車の件、私も気付きませんでした。
この辺りの車輌の部品は相当複雑怪奇なものがありそうですね。
オーバーランの件は、私もニュースで知りました。
アルバイトで良く通っていたところだったのでびっくりしました。
構内入換は結構ワイルドな部分もありました。