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Saturday, June 30, 2018

浦島太郎だった渋沢~新松田 その2

浦島太郎だった渋沢~新松田の話で登場したロマンスカーの画像以外にも他の画像も再スキャンしましたので、こちらもまとめてみました。

83.1.7 新松田―渋沢

35年前の撮影場所はこのトンネルの向こう側でした。
今回はどうやって行けばいいかわからなかった場所です。



83.1.7 新松田―渋沢

1983年当時の私の一番のお目当てはこれでした。
デニの配送列車は毎日小田原まで一往復走っていました。

83.1.7 新松田―渋沢

懐かしの9000系もなぜかリバーサルで撮ってありました。
当時はほとんど気にかけなかった9000系をどうして撮ったのか全く記憶がありませんが、今となっては撮っておいて良かったと思います。


83.1.7 新松田―渋沢

こちらは小田急顔の5200系ですね。


デハ2321 83.1.7 新松田―渋沢

こちらも御贔屓なABFM車。
当時は中型車しか箱根登山線に入線できなかった関係から、箱根湯本行き急行にもよく使われていました。


83.1.7 新松田―渋沢

こちらの場所は記憶ではトンネルの松田方だったと思うのですが、今回訪問時にそのような場所が見当たらず、ずいぶん雰囲気が違う気がしました。自分の勘違いかな?と思いながら他の場所を探しました。
戻ってから地図で確認したら、やはり場所は記憶の場所でした。
今は草木が繁茂したことと、この背景に大きな工場が出来てしまっているので、勘違いをしたようでした。

83.1.7 新松田―渋沢

こちらはモノクロで撮った少し引いた画像です。
編成は2320形+2400系です。
2400系が試作冷房車を組み込んだ編成だったのは今回初めて気づきました。
あまり見かけなかった編成と思います。


83.1.7 新松田―渋沢

小田原に行っていたデニが戻ってきました。

83.1.7 新松田―渋沢

振り向いてデニ1000形。
冬本番の1月の河原はじんじんと冷えます。
デニが小田原から戻ってくるのを見届けて帰りました。


4 comments:

モハメイドペーパー said...

 私が通学していた頃にはなにもなかった大根あたりも、今やマンションが林立しています。それに比べれば昔の面影は残っている方ですね。トンネルの前後は撮り鉄のおかげで踏分道ができているかも。

すぎたま said...

小田急線の渋沢-新松田間は、小田急での最長駅間ですので、撮影はさぞご苦労がおありかと思います。
この四十八瀬川にかかる鉄橋の強度が弱くて、小田急のEF65 1000購入案は露と消えたのでした。ここの鉄橋がもう少し強ければ、新車の輸送や改造車の発送のため、小田急デキ65?が出現していたでしょうね。
2400の冷房改造車は、冷房試験車であるクハ2478号のみです。したがってこの写っている編成は、2477-2427-2428-2478ということになりますね。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
35年も経てば変わっていない方が奇跡みたいなもんですよね。
駅名さえ変わっていますし(^.^)

chitetsu said...

すぎたまさん
歩いて行くにはちょっと面倒な区間ですね。2400の試作冷房車は広幅貫通路で、あれじゃクーラー効かなさそうです。自分の記憶では扉無かったような気がします。