Sunday, March 18, 2018

京急2000形、見納めに行ってきました

昨日、京急沿線に所用があったので、引退間近な京急2000形の見納めに行ってきました。

デハ2011 18.3.17 能見台

既に残っているのがリバイバルカラーの一本だけとの噂を聞いたので、会えるかどうかは運しだいだったのですが、途中ですれ違ったので、あとは戻ってくるのを待つだけです。


デハ2011 18.3.17 能見台

そして待つこと約一時間、目的の電車がやって来ました。

デハ2011 18.3.17 能見台

今回は瞬殺で売り切れた2018枚の切符を始発で買いに行ってくれた同僚に敬意を表して、記念切符とのツーショットを撮るのを一番の目的に場所を選びました。
その写真が表題の写真です。

以下は、簡単な2000形回顧です。

デハ2058 96.8.20 立会川

こちらは2扉時代の2000形です。
当時は1000形全盛時代で、あまり2000形にはカメラを向けませんでした。

デハ2018 16.6.17 戸部

こちらは、リバイバルカラーになった最近の姿です。
トンネルのある風景に良く似合う気がしました。

デハ2011 16.5.18 仲木戸

原模型の仕事をしている時には毎日のようにチェックしていましたが、すれ違うことはそれなりにあっても、カメラを向けている時に会える確率はそれほど高くなかったです。

デハ2041 16.5.21 京急鶴見

こちらは先に引退した2041編成。
 2000形は最後までスカートを付けませんでしたね。
付けたらどんな表情になっていたのでしょうか。

デハ2011 16.5.27 京急鶴見

カントしたホームに停車する京急鶴見の駅はお気に入りの場所でした。

デハ2018 16.5.27 仲木戸

夕方の帰宅時に捉えたエアポート急行。

デハ2011 18.3.17 能見台

昨日のこのカットがたぶん見納めになると思います。
1982年のデビューから36年の活躍、お疲れさまでした。

6 comments:

  1. 記念切符を手にとっての記念撮影、実にイイ感じです。
    2000と800は、小学生時代の自分の「神」電車でしたので、時の経つのが本当に早く感じます。

    自分の心の中では、いつまでも現役で、手元の模型で活躍させてやりたいものです。

    それにしても・・・記念切符、凄い人気でした。
    お別れ列車の旅が夢に終わったのが残念でなりません。(^^;;

    ReplyDelete
  2. 卓さん
    こんにちは。
    卓さんも切符買ったのでしたよね。
    登場時の窓周りの白がどちらの形式も印象的でしたね。
    私も同僚もお別れ列車、ハズレました。。。。

    ReplyDelete
  3. 京急2000形の2061編成は、3月14日(水)に運用に入ったのを目撃したのが最後で、同日に金沢文庫検車区に新1000系塗装編成1209編成が待機しているのを目撃しており、16日(金)に1209編成が運用に入ったのを目撃しました。このため、14日が2061編成が営業運転の最終日になったと考えられます。

    記念切符は私も出向いたのですが、売り切れでした。列が文庫駅南の陸橋近くまで伸びていたのは驚きでした。

    京急2000型の模型は、古くはGMの阪急通勤車キット付属の2800型側板側板を用い、前面自作で製作した記事が確か1980年代中頃のTMSで紹介されており、その後GMからも「前面セット」で2000形前面が収録され、さらに「京急2000型」としてもキットが出ています。3扉になってからは、Crosspointからキットが出るとともに、MICROACEから製品が出ました。

    ReplyDelete
  4. 原口さん
    いよいよ2000形も終焉カウントダウンですね。
    切符は凄い列だったと買った同僚から聞きました。

    ReplyDelete
  5. 800形は車庫の電車が出払う朝ラッシュ時に、狙った通り日ノ出町界隈で写真を撮れましたが、
    2000形はいつまで待っても来ず、雄姿残念ながら最後の写真が撮れませんでした。
    営業運転の最終日が3月14日だったなら当然ですよね。
    3月13日に久しぶりにKQで久里浜まで行った時に、2000系が車庫に居るのを見ましたが、
    あれが最後だったとしたら悲しすぎます。

    2000形はKQ初の両開きドアを装備した車両で、そう言った意味では、今までのKQの伝統をぶち破った、
    パイオニア的存在の車両だったと思いますが、でも、KQの女王600系を駆逐した車両だったので、
    当時の日産UDバスのお尻に似た顔を、「バスのケツ」と揶揄されたりもしていました。
    また運転室が暑くなるので、持ち込んだ弁当が腐ると、乗務員からも不評だったと聞いたことがあります。
    しかしながら2000系は、今までのしゃかりきカッ飛びKQ快速特急の暴力的なイメージを、
    上品なイメージに変えた功労者だったと、個人的には思っています。

    KQで長年君論してきた女王600形を駆逐した2000形については、賛否両論色々あるでしょうが、
    最後までKQの女王のまま車生を全うできた600形と比べ、3ドアロングシート化に加えて一般塗装化され、
    平民階級に転げ転げ落とされて最後を向かえた2000形は、悲劇の女王だったように思います。
    最後にデビュー当時の塗装に戻されたのが、彼女にとってのせめてもの救いだったのかも知れません。

    ReplyDelete
  6. ジモティーさん
    2011編成はもうちょっと走るみたいですね。
    2000形も3ドアになってからは随分と日影の存在になった気がします。
    でも、車内に入ると2扉時代のカーテンが残っていたりして、他の一般車とはちょっと違う印象があり、お得な気がしました。
    800形より先に消えてしまうのは様々な理由からして致し方ないのでしょう。

    ReplyDelete

コメントはフリーでお受けしています。しかし、個人的なブログですので、リプライ及び不適切と判断したコメントの削除は管理人判断で行ないます。