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Wednesday, March 21, 2018

名鉄谷汲線の春

1995年の4月、桜を求めて名鉄谷汲線を訪れました。

モ758 95.4.14 谷汲

当日は生憎な天気でした。
谷汲を出発するモ758。

モ758 95.4.15 更地

翌日は、好天に恵まれました。
大きな桜の木がある更地駅にて。

モ758 95.4.15 更地ー北野畑

石山をバックに。

モ758 95.4.14 黒野北口

黒野北口駅にて。

6 comments:

Cedar said...

桜の谷汲線いいですね。名鉄の中でも自然豊かなこの線がなくなったのは惜しいです。

すぎたま said...

谷汲線、かつて乗りました。小学生だったので、トイレが無くて困りました(笑)。パノラマカーにも、当時はありませんでしたね。
母は一時名古屋におりましたが、なぜか戦争直後谷汲線のことを「みたらかたん」と呼んでいたそうです。
谷汲線のレールは、カーネギーの1911年ものが現役だったようで、撤去後に入手・所有しています。長くて重いので、近所の工場に頼んで銘のところだけ切断してもらいました。30キロレールです。

失礼いたします。

伊豆之国 said...

私が谷汲線に乗ったのは、19年前の春。行きは名古屋駅から樽見鉄道への直通の臨時客車列車で終点まで乗り、満開の「薄墨桜」を見て、「谷汲口」まで戻って駅前に待っていたバスで谷汲山参り、その帰りに名鉄谷汲駅から、750型電車で黒野まで、待っていた最新鋭の780型?で新岐阜駅へ、と言うコースでした。その日は一日中冷たい雨が降り続き、ゆったり桜見物とは行かなかったのが残念でした。
谷汲線は、沿線の状況から見て、その頃には既に廃線は時間の問題、と言ったようでしたが、日中も15分間隔で電車が走っていた揖斐線の黒野以東が、美濃町線や岐阜市内線と共に、よもやその数年後に悲惨な最期を迎えるとは思いもよりませんでした。「行政の意地悪」の付けが回ってきたのか、岐阜市の中心街は衰退が目立ち、人口も減少傾向が続き、今では「トヨタ市」にも抜かれて中京圏第二の都市の地位からも滑り落ちてしまっているようです。

chitetsu said...

Cedarさん
谷汲線は風光明媚で良かったですね。
今も走っているのではと思うほど当たり前の存在だった気がします。

chitetsu said...

すぎたまさん
そういえばパノラマカーもトイレなかったですね。
結構な距離を走ることを考えると今ならば設置しそうですね。
レールはほんの1cmでも結構な重さだから大変でしょう。

chitetsu said...

伊豆之国さん
岐阜市は今見ると活気が本当に無くなっていますね。
新岐阜駅も昔のような混沌とした活気を感じません。
電車が無くなってさらに活気がなくなったのでは・・・。