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Monday, March 12, 2018

拙著の新作・「80系湘南電車 最後の頃」発売になりました。

拙著の新作「80系湘南電車 最後の頃」が発売になりました。
旧性能国電のまとめ本は17M電車、荷物電車、飯田線電車に続いての4作目になります。
80系電車は他系列よりも優先順位が低く、あっという間に無くなってしまったので自分としてはハードル高めでありましたが、アクラスのキットとの連動で製作記事化したこともあって手を付けることにしました。
優先順位が低かったのは、当時の情報不足でまだ当分残ると踏んで、他形式を優先したためでしたが、実際はあっという間に置き換えられてしまったからで、嫌いなわけではありませんでした。
そのような理由から本の名前も最後の頃という言葉を付け加えさせていただきました。



3月11日は誕生日。
いまや素直に喜べない日付となってしまいましたが、本日版元から刷り上がった本が到着しました。
自分の本ができるのはやはり嬉しいもので、良い誕生日プレゼントになりました。



巻頭グラフには、80系電車生みの親のお一人、黒岩保美さんのデザインスケッチと久保敏さんの写真で飾っていただきました。




自分が撮影した当時はまだカラーフィルムは高くて使えずモノクロばかり。
80系電車のカラー写真は想像以上に集めるのに苦労しました。
お知り合いにお願いしたと共に、そのお知り合いのFBつながりの方にもお声がけしてもらってなんとかまとまりました。





モノクロ画像は自分もそれなりに撮っています。
80系電車は自分が大学進学時にはすでに飯田線を除いて引退をしていましたので、今回掲載した画像の大半は高校生時代に撮影したものです。
改めて刷り上がった誌面を見ていると、高校生時代に下関、広島、岡山、名古屋、松本、長野、高崎、新潟とずいぶん全国各地を回って撮っており、それを許して資金援助をしてくれた今は亡き両親に感謝しないといけないと感じました。



歴史編は、先輩諸氏の著作で書き尽くされた感があるので簡単にまとめて、模型ファンに興味があるであろう形態の変化の歴史に基本的には絞ってまとめています。
ここでも、登場時の貴重な画像を久保敏氏から拝借できたので、紙面が賑やかになったと思います。



メインとなる各形式の写真は、なるべく形態の細かい違いごとに掲載、グループごとに車輌の両側写真を可能な限り掲載するようにしました。



模型編ではOJの木村さんのスクラッチ作品とアクラス製品の組み立て記事でまとめています。
今週から店頭に並ぶと思います。
よろしかったら、ご覧ください。

4 comments:

モハメイドペーパー said...

 今日、書泉グランデに行ったけど、見かけませんでした。まさか、もう売り切れではないでしょうね。今回も期限切れ間近のコダクロームがお役に立てたようで、嬉しい限りです。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
天賞堂やイモンには週末に入ったらしいですが、一般書店は今週入荷らしいので、そろそろではと思います。
今回もお世話になりました。
ありがとうございました。

nnishi1968 said...

こんばんわ。

80系の本、購入させて頂きました。車両写真てんこ盛りで、良い資料になります。私も、山陽本線
で何度も乗った経験がありますので、懐かしいです。

記事を読んだ中で、ひとつ気になる事がありました。80系300番台の塗り分け線の事ですが、あれは
山陽本線所属車両共通の仕様ではなくて、吹田工場受け持ちの、岡山電車区所属だった車両に施された
もので、高槻区で東海道・山陽線の快速用として使用されていた頃から行われていて、岡山区に配置
された80系300番台車にも受け継がれたのでした。

一方、広島や下関区に居た300番台にも、この塗り分け線を残した車両が居ましたが、これは岡山区
から転入した車両だけで、しかも両区の整備を担当していた幡生工場では、「転属前の塗り分け線は
そのままにする」という方針だったそうで、岡山区当時の塗り分け線が維持されていました。

この方針は、昭和50年に広島に転入した111系にも受け継がれていて、転入前にスカ色塗装だった
クハ111は、湘南色に塗り替えられる際にスカ色の塗り分け線をそのままに塗装した結果、緑2号の
部分が多い状態で、後年まで使用されていました。

可部線や宇部・小野田線の旧型国電の黄色い警戒帯や、呉・可部線の73系のウグイス色にオレンジ色の
警戒色なども幡生工場の施工でしたので、この工場の担当部門には、塗装に対する独特なセンスがあった
のかも知れません。

chitetsu said...

nnishi1968さん
こんにちは。
お買い上げ、ありがとうございます!
山陽線エリアの塗り分けのこと、他の方からもお話を聞きました。
吹田と籏生で考え方が違っていたのですね。
改めて下関配属車の写真を見てみると塗り分け線は2種類ありますね。
ご指摘、ありがとうございました。