高松中心部にあって人通りも多いのにも関わらず、駅舎はボロボロでお化け屋敷のようでした。
これは別の時の瓦町駅。
手前の高松オリンピア、パチンコ屋さんでしたっけ?記憶が曖昧です。
この駅舎は1994年の11月に役目を終えて解体されました。
その後については皆さん周知のとおりの残念な方向に向かって・・・・です。
00.5.15 |
念のため、これです。
同じ日に撮影した瓦町駅構内全景です。
琴平側から築港側を見ています。
ホームは5面あり、左から琴平線上り、琴平線下り、中央が主に志度線折り返し用、そして右二本が長尾線用でした。
当時は志度線が瓦町でスイッチバックして高松築港に行っており、長尾線は瓦町折り返しでした。線路をちょっと弄れば長尾線もこの時代でも築港に行けたはずですが、それはしていませんでした。架線電圧の違いがあったのが引きずっていたのでしょうね。
92.11.15 |
これは別の時の瓦町駅。
色々な電車がひしめき合っています。
陽の当たっている右二本の電車はどちらも長尾線電車です。
志度線は基本的に瓦町はこのホーム一面のみで上下運行されており、列車交換は次の今橋でやっていました。
こうやって当時の写真をみると今の瓦町駅より活気があった気がします、というか間違えなく活気がありました。
21.4.28 |
こちらは最近の瓦町駅です。
上の写真とほぼ同じ場所から撮っていますが、どことなく寂しい印象がぬぐえません。
どこかほっとした雰囲気が感じられる一瞬です。
6 comments:
この駅ほど「地方私鉄」の悲哀、というか変化を感じる駅はありませんね。あの巨大なビルの存在が恨めしいほどに寂しい現状を見るにつけ、地方創生なんてお題目は嘘っぱちだと思いますね。
今回のお写真がどれも痺れるものなんで、当時と比較してそんなことを思ってしまいます。
懐かしいですね~
88年に高校を卒業して就職し、その年の12月に『どっきん四国***』のフリーきっぷを使い、初めて琴電に訪れたときに受けたインパクトを思い出します。
それ以降、年の1~2回琴電に泊まりがけで通い、吊り掛けサウンドを存分に堪能しました。
結婚してからは、一度も入ってないけど京急琴平線(笑)も久々に乗ってみたくなりました。
Cedarさん
おっしゃる通りですね。
なんのためにお金かけてあんな改悪をしてしまったのでしょうか?
それを良しとする判断をされたことがとても悲しいですね。
まろねふさん
この駅に初めて降り立った時のインパクトは強いですよね。
瓦町駅の是非は別として、今の京急琴平線も悪くはないと思います。
琴電瓦町駅に降り立ったのは、今から30年ほど前、ちょうどこの写真に出ている頃。駅舎は最初の写真の通り、2階部分の窓ガラスは割れが目立ち、薄暗い外壁の色と合わせて、まさに「廃墟寸前」といった印象でしたが、利用客も多く、改札の脇には旅行センター?のようなものもあって、見た目とは裏腹に、市街地の中にあるターミナル駅として機能していた雰囲気がありました。
その頃は、琴平線は既に元京急600・1000が主力となっていたのに対し、志度線・長尾線方面は、大正生まれの生え抜きや元京急230などの雑多な旧式車両で運用されていて、「本線」の琴平線との大いなるギャップも見られた時期だったのでした。
四国を訪れたのが、結局これが最後だったので、その後の「巨大廃墟寸前」と化した瓦町駅の現況はネットなどの情報によって知るのみですが、やはり「身の丈に合わない建て替え」は後々までに「つけ」を残す、という「教訓」になったのでしょうか。
伊豆之国さん
まさにバブルの中、迷走してしまったのでしょうね。
志度線の分断とかはどうしてそういうことを考えてしまったのか~。
大きなミスであったとしか思えません。
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