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Thursday, September 28, 2017

山手線を走る73系電車

アメリカばっかりでへ辟易していらっしゃる方も、結構多いと思います。
このあたりで一回国電もので骨休めをします。

クモハ73351 79.8.9 池袋

山手線を走る73系電車は私の世代ではどう背伸びしてもカメラを向けることができなかった時代しか走っていませんでしたので、その姿を形を変えながらも見れる数少ないチャンスが軌道検測列車(マヤ検)でした。
地方線区ではDLなどがマヤを挟んで走っていましたが、国電区間ではなんとクモハ73形がその役を担当していました。
上の写真は埼京線ホームが無い頃の池袋駅で、貨車を挟んでレッドアローが見えます。

クモハ73351 79.9.3 原宿

原宿を通過するマヤ検。
宮廷ホームもこの頃は現役で使われていた時代です。

クモハ73086 79.9.3 原宿

振り向いてもう一枚。


クモハ73086 79.8.6 渋谷ー原宿

渋谷の宮下公園脇を走るクモハ73。
こちらは山手線側を走っています。

クモハ73351 79.8.6 渋谷ー原宿

この時代は木製の架線柱も残っていました。

クモハ73086 79.8.6 目黒ー五反田

軽便祭でお世話になったさつき会館もまだ動力車会館でした。

クモハ73351 79.8.6 目黒ー五反田

1日かけて山手貨物、山手の内回り、外回りを検測。
それを追いかけた一日でした。



12 comments:

やまぐち号 said...

受験勉強の真っ最中!。気晴らしに私もたまに?出かけたな。

chitetsu said...

やまぐち号さん
まさに受験勉強も天王山の夏休みですね。
予備校行くときは大抵カメラ持参で帰りに寄り道してました。
親には申し訳なかったですが・・・。

12号線 said...

このクモハ73、品川区においてマヤ牽引以外の役割はあったのでしょうか?
電車区への輸送なら入庫電車に便乗すれば済みそうですし。

モハメイドペーパー said...

 これは時々見かけました。本来の役目がなくなった旧国の、最後のご奉公というところですね。

すぎたま said...

首都圏に残るクモハ73として、一部で有名?だった車輌たちですが、画像を拝見していて、一番下とその上の画像、道路寄りの架線柱1本だけ、「桜田式」に見えませんか。
桜田式は、南武線に少しと、身延線などに残っていた、「買収線区」に多かったタイプの架線柱です。しかしこの位置は、もちろん買収線区ではありませんね。どこから来たものなのか…。道路までの距離が取れなかったので、限定的に採用したのか、それとも流用品なのか…。
かつて撮影された写真というのは、意外なものが写っている可能性があり、その意味でも貴重ですよね。

chitetsu said...

すぎたまさん
確かにあのタイプの架線柱は国鉄にはあまり見かけませんね。
私もちょっと気になっていましたが、桜田式というのですね。

chitetsu said...

12号線さん
おそらく、これしかお仕事無かったのではと思います。クモヤが足らなかったからかも知れません。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
まさに最後のご奉公だったと思います。
山手線時代を知らない私にはありがたい存在でした。

原口 悟 said...

クモハ73の「マヤ検」で「お化けジャンパ」とも呼ばれた「長ジャンパケーブル」を目撃なされたでしょうか。
マヤ34型は機関車牽引だけでなく、意外な電車と編成を組むこともありましたが、その時、「前後の電車をどう電気的につないでいたか」が「我が心の飯田線掲示板」で話題になったことが有ります。その時に、写真のクモハ73型だったか、「車内に長ジャンパケーブルがとぐろを巻いていた」というという話が寄せられました。この長ジャンパケーブルを使って前後の電車をマヤ34をまたぎ越して接続していたらしいです。変わった編成では、1990年代の新潟地区でムーンライト色の165系を使った「クモハ165―モハ164―マヤ34―クハ165」という編成で運転されたことがあり、この時に運転をしている全景の写真は多いのですが、モハ164とクハ165をどう電気的に連結していたか、調査をしている情報が全然見つからず、「マヤ検の大きな謎」になりました。

マヤ検用と考えられるクモハ73型は関西にもあり、また、広島にも事業用車代用のクモハ73型がいました。「クモヤの需給」という目で見ると、首都圏の車はATC化とそれに対応したクモヤ143型の製造と、それに関係するクモヤ90型の地方転用の間を埋める「つなぎ」の色彩があり、広島のクモハ73型もクモヤ90100台(種車は同じ広島(呉線の山スカ混成)のモハ72500台)ができるまでのショートリリーフの意味合いもあったので、「クモヤの不足」は昭和40年代後半から50年代前半のいわば特殊な事情を反映したものと思われます。
広島の事業用代用クモハ73型(昭和51年以降はクモハ73128,345)は、可部線の営業用の73系と混同されることがあるので文献調査では注意が必要です。これは、山スカとともに移ってきたクハ79型がちょうど2両(クハ79446,466)あり、これが可部線用と誤認されて、「可部線用の73系はクモハ、クハが”12両ずつ”」と認識されることがあることによります。

chitetsu said...

原口さん
マヤの編成の電気的な連結、やはり長いジャンパ栓でやっていたのですね。
自分も気にはなっていましたが、当時は走ってくる電車を撮るのが精一杯で、チェックするゆとりなどはなかったですね。

原口 悟 said...

先週熊本へ出張し、この機会に熊本電鉄に乗ってきたのですが、熊本電鉄では木製の架線柱が大量に現役でした。
末端に近い黒石駅付近の経路変更をしたところはコンクリート電柱なのですが、これ以外はほぼ全て木製電柱です。藤崎宮駅を出てすぐの熊本市立必由館高校付近に併用軌道があり、この付近も木製電柱で、この付近を元都営三田線6000系や元銀座線01系がゆっくり走るところは必見です。

chitetsu said...

原口さん
熊本電鉄は木製架線柱多いですね。
木製架線柱と地下鉄電車の組み合わせも不思議と言えば不思議です。